2016年6月9日木曜日

アンダーカバー

古き良き時代(?)のスパイ戦争を題材にしたボードゲーム。
ぱっと見の印象では、幼い頃(30年以上前だ)に親戚にもらった「Cluedo」らしきゲームの日本語版(「探偵」とか、そんな名前で売られていたと思う)に近い。

「Cluedo」ではプレイする度に犯人、凶器、犯行現場が変わり、各々のプレイヤーはそれらを明らかにすべく行動する。
この、アンダーカバーではむしろ逆で、プレイヤーは自分の正体を他のプレイヤーから隠しつつ、彼らを出し抜いて利を図る。
読み合いのゲームである、という点は変わらないのだろう。そう思っていた。

人間は、自分が行動する際は気分を優先するくせに、他人の行動には何らかの合理性を期待する。
人間は、自分の行動には環境や状況をもって説明するのに、他人の行動には本人の性向をもって説明する。

読み合いを成立させるには、互いがそれなりに熟練し、ゲームを理解していることが必要だ。
あるプレイヤーは、自分の正体を隠すのに夢中で、ゲーム自体の勝利を二の次にしていた。
また、別のプレイヤーは純粋に勝利を求めていたが、肝心の自分の正体を間違ったままプレイしていた。

たった1つのゲーム版の上で、我々は全く別のゲームをプレイしていたのである。
我々は、某超大国がかつて犯した過ちと同様に、ありもしない大量殺戮兵器を求め、それ自体が頓珍漢な他プレイヤーの思惑を推測すべく、狭い街の中をぐるぐる廻っていた。

陰謀はある。常にある。あなたにも、かなたにも。老人には老人の。赤子には赤子なりの。
だが、それは必ずしも世界がその特定の陰謀に支配されていることを意味しない。

このゲームは、特定の団体ないし個人の陰謀によって世界が支配されているという、素朴な陰謀論に対する反論である。

「パンプキン・シザーズ」9巻より


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