最近書店で見かけるようになった「整理術」の本。
紙の文書の整理、手帳の使い方、机の整理……。
両書とも、特定の執筆者が持論を語る風でなく、文具・事務用品のメーカーの人やら、一般の会社……大手企業の社員の方々への取材の結果をまとめたものとなっている。
私が新入社員だったころ、こういう本って見かけなかったような気がする。
KJ法のような個別の方法論はあったけど、基本のキ(と、されているところ)をわざわざ説明するような本を見た記憶はなかった。
もっとも、私はプログラマとして入社したので、書店で真っ先に行くのは技術書コーナーだった。私が無関心だっただけかと思っていた。
しかし、「整理術の基本」の方の本の帯にあたる部分には「だれも教えてくれない」とある。
私のように、なんとなく「教わり損なった」と感じる中年、「なぜ教えてもらえないのだろう」といぶかる若者は実は多いのかもしれない。
プログラマとして入社した私はもちろん、プログラマとして入社後の教育を受け、その中にコンピュータを使わない仕事についての講義はなかった。
実際に配属されたあとも、基本は見様見真似。職場のローカルルールへの違反を咎められることはあっても、「なっとらん!」と、この出来の悪い若者に「何がどうあるべきか」をイチから叩き込もうという先輩社員はいなかった。(もちろんコンピュータ・システムに関してはいた)
思い起こせば、私はもともとノートをとるのが苦手な子供だった。書くことに集中すると教師の言葉が耳に入らない。で、私が優先したのは教師の講義を耳で聞くことと居眠りすることだった。そうすると黒板の文字を書き写すのが精一杯。
学習雑誌などに、ノートのとり方などが記事として載ることはあった。が、きれいな文字で整然と書かれたその例は私にノートを取ることの困難さを印象づけるだけだった。私はろくにノートを取らない学生になった。
社会人になって周りが手帳とか使い始めても、自分は相変わらずアナログ筆無精のままだった。プライベートの用事は週末にしか入らないし、平日の仕事は会社の外に出したくない。よって手帳を買っても中身は真っ白。その年が過ぎたら単なる紙ゴミである。定例の会議以外にアポイントをとるような事もめったにないので、気が向いて何か書いても読み返す機会がない。何も情報がないのをわかっているので、手帳の読み返しは結局習慣づかなかった。
できない者はできないまま放置。できる人は独学で苦労。その構図を崩すこのような本が出てくるようになったのは、ホワイトカラーの生産性向上に関するプレッシャー……に端を発するストレスの増大だと思っている。
大事の前の小事。大切な仕事に取り掛かる前に、目の前のハエを追い払おう。後顧の憂いを絶とう。
我が仕事を妨げるものは悉く排除せよ。我に我の仕事をさせよ。 Order!