2018年11月11日日曜日

「校舎の屋上からの景色を見せてあげるよ」

プログラマ向けの質問サイトで、回答する側に回ってみた。

私が、自分のために書くコードは当座の要求をとりあえず満たす目的のものばかりなので、まずは自分にできることを念頭に書くし、ユースケースも極端に狭い。他のプログラマが苦労して書いてくださったライブラリも必要を満たすだけの部分だけ使って済ませている。(実際的には、当然それで構わないのだが)
質問サイトでは、皆が思いも寄らぬことを目的に「それって意味があるの」と思えるような試みにチャレンジしているので、とても勉強になる。自分がちょっとだけ使っていたフレームワークの新しい使い方を知ったり、あるいは「そのような使い方はできない」ことが明らかになったり。

質問サイトに集まる、質問者の多くは初心者だ。初心者でない者も一定数いるが、そういう質問者の質問は要領がしっかりしており、すぐに回答がつき、「解決済」になっていく。結果、未解決のまま滞留する質問は「何を聞けばよいのか自分でもわからない」感じのものだ。

動かないというそのコードを見ても、「○○できるよ!」「○○やってみた」みたいな名前の記事を見て、切り貼りしながら1本にまとめたものの、実行したら「よくわからない」結果が出て途方に暮れている。そのような経緯を想像できる。青春だ。

やってみた系の記事に沿って、新しいことを試みるのは、例えるならば、美人女子高生の先輩に屋上まで連れていってもらうようなものだ。
ただ、階段の存在も知らないまま、エレベーターでいきなり最上階に昇ってしまい、そのまま立ち往生してしまう後輩クンも多い。

先輩に連れていってもらうのは冒険のきっかけを得ることであり、結果を先取りすることであり、それ自体は冒険ではない。冒険とは下記のようなものだ。

  • 階段を一歩一歩昇り、新しい階についたら現在位置を確かめる
  • 校舎の平面図を見てエスカレーターを探す
  • 屋上の鍵を借りる手続きを踏む


 「○○できるよ!」「○○やってみた」系の記事は、とても有用だ。私自身もありがたく利用させてもらっている。
だが、先輩が前もって行ってくれていたであろう、数々の準備に対する想像力がないと、自分の力で、もう一度その光景を見ることはできない。そして、それができないと先輩の姿を追うこともかなわない。

2018年9月16日日曜日

帰省3日目: こどもの国

帰省3日目は、横浜市と町田市にまたがる巨大施設「こどもの国」へ。

こどもの国へは、横浜線長津田駅から「こどもの国線」に乗り換えていく。JR横浜線の出口を出た後、こどもの国線に乗るための改札がないままホームにたどり着いてしまい、非常に焦る。「あれ? 今、無賃乗車状態なのでは」それどころか、ホームから直接駅の外に抜ける道があるぞ。

慌ててスマホで調べたら、やはり、こどもの国線長津田駅には改札がないのだった。では乗車前ないし、乗車中に車掌が料金を徴収するのか。それも違った。長津田駅から乗った場合は降りる駅で。こどもの国駅から乗るときは乗るときに改札で料金が徴収される。3駅間すべて同一料金なので、こういうことができる。なるほど。

駅から入ってみて、その広大さに驚く。田舎生まれなので、だだっ広い土地自体は見慣れていそうなものだけど、広い土地を管理するには資金的な制約があるよね。

謎の太陽電池。

園内を一周する環状線を走るSL「あかポッポ号」。見えない線路の上を走る。園内をざっと見通すのに便利そうなので、早速乗車する。

家族連れのパパさんが、携帯電話一本で「おとなの国」に引き戻されていた。釣られて、こちらも「電車の中で長々と通話するなよ」という気分になる。いや増す通勤電車感。

こどもの国は、旧軍の弾薬庫および工場として使われていた場所を、米軍からの返還後に公園化したもの。呼びかけ人は平成最後の天皇陛下たるあのお方らしい。戦時中、弾薬を保管していた倉庫は、今でも倉庫として普通に使われているとのこと。山の斜面に水平方向に掘られたであろうそれらの穴の扉が、あかポッポ号の車窓からも見える。

皇太子記念館と名付けられた謎の建造物がある。○○記念館とか、××記念病院って、生者に対しても使うんだね。(あまり分かってない)

園内で飼われている牛の乳から作ったというソフトクリームを食べた後、併設された動物園に。トリがウサギが暑気を避けるべく、水浴びしたり、日陰でまったりしている。

動物園の中のヤギのコーナー。首都圏にあるにもかかわらず、運動のための場所には余裕がありそう……に見えるけどヤギ視点ではどうなんだろう。

ヤギのコーナーを裏に回ったところ。平日に一人で訪れるオッサンが珍しいのか、彼らの視線が集中する。そう言えば確かにニンゲンにも「下見ですか?」と聞かれた。また来るかも知れないけど、そのときも自分一人ですよ。多分。

野鳥のナワバリは治外法権。来園者が自己責任で入っていく必要がある。案の定、来訪者に通行税を要求しようと往来に陣取るごろつきがいた。迂回する。

あかポッポ号に似てはいるが、もう少しだけSLっぽい「太陽号」。太陽光発電で走る。SLなのに。

こういうのがあると、つい見入ってしまう。

全長400m弱の走行区間で、駅は1つしかない。唯一のホームにあるベンチの利用シーンが思いつかない。有料で入場し、乗車せずにホームで見送るだけの人がいるのだろうか。運動会のカメラ係のパパみたいな。

さっき見えていたあれがエネルギー源らしい。従業員がスマホを充電するための設備ではなかった。

架線はなく、三本目のレールから電気を取り出す方式。電源のレールが途切れる、分岐にさしかかった瞬間だけ減速する。

おそらく、日本で一番事故が少なそうな踏切。

大きすぎて広すぎて、全体の四分の一も回れた気がしない。スポーツに興味がないから、最初から視野に入ってない施設も多いが。近場に住んでたのだし、入場料も高くないし、外周をただ一周して帰るとかいう楽しみ方もあったのかもしれない。

2018年9月13日木曜日

帰省2日目: 相模原市立博物館~

帰省の日程は、たまたま町田駅前の祭りと重なっていた。重なったのはたまたまではあるが、当日の宿泊を手配するのに苦労したのと無縁ではないだろう。

そのお祭り、「フェスタまちだ」。写真は都内および沖縄からの各種団体を招いて行われる、「町田エイサー祭り」。在住時はその規模に「町田の一体どこに、沖縄県が」といぶかしんだものだ。答えは簡単、祭りのためにあちこちから招いていたのだった。

町田市の博物館を回って、お昼が過ぎたところ。このまま夕方までぼうっとしててもよかったが、せっかくなのでお隣の相模原市の博物館にも足を伸ばす。

なお、町田市が縄文推しである以上に、相模原市は宇宙推しである。銀河連邦サガミハラ共和国である。

銀河連邦サガミハラ共和国にはJAXAの施設があり、こちらにも見学コースがある。けど、横目に見つつ素通り。
相模原市立博物館は、町田市立博物館よりも、新しくて大きくてデザインに金がかかっていそうな建物だ。建物正面からは入り口しか見えないが。

入り口にドヤ顔で鎮座する小惑星探査機「はやぶさ」の模型。単なる似姿ではなく、開発に実際に使われた資材を転用しての、ある意味ホンモノ。

古代史跡が中心の町田市立博物館と異なり、こちらは歴史と科学の両方の展示がある。マンモスなど昔の生物の剥製が、地元由来ではなく外国からの輸入であるのはご愛嬌。
地層や古代生物、古代から近現代、人間の営みから野生の動植物まで。あらゆる知識を動員して、地元、相模原LOVEを訴えている。

(なお、写真は撮り忘れている)

退館時刻になってしまったので、町田に退散。


町田に住んでいた頃には、あまり積極的に行こうとしてなかった銭湯。せっかくの機会なので「金森湯」に行ってみた。
金森と言いつつ、町田天満宮周辺ではなく、ほぼ隣駅。移動はバスでと思って、Google Mapsで探しあてたバス停は「フェスタまちだ」の混雑回避のために臨時バス停に移動していた。おのれ沖縄県。

JR基準で町田駅から1駅ほど離れた「金森湯」。履き物を脱いですぐの扉を開けると、いきなり番台&更衣場という、昔ながら過ぎる銭湯だ。
家族連れがくつろぐスペースみたいなものはない。来て、風呂に入って、出たらそのまま帰る。庶民の生活サイクルにガッチリ組み込まれたそのありよう。リゾートとか、くつろぎ系の要素はウスい。
しかし、建物の造りの古さに反して、入浴設備はわりと新しめ。さてはこちらに経営資源をつぎ込んだのか。

夕飯は、町田駅前に戻って、回転寿司「大黒さん」で。
ここは2011年の計画停電のときにも、発電機と仮設の照明を店内に持ち込んで営業を続けていた元気な店だ。あと、寿司店なのにブイヤベースを提供している時期があった。実際に注文した者が私の他にいたかどうかは不明。
昔は、近隣のパチンコ店でたまたま大勝ちした客が戦勝祝いに来る感じの店だったが、なぜか学生~新社会人くらいの若いカップルがデートで来る店になっていた。店そのものに変化は見られないのに、不思議なものだ。

2018年9月12日水曜日

帰省2日目: 町田博物館~

帰省の2日目は、存在を知りながらも行ったことのなかった町田市立博物館へ。

ここを地元に生まれていたら、小中学校の社会科見学で一度行ってそれっきりになっていたであろう施設。だが私は旅行者。自らの財布から大人料金を払って堂々の入場である。

館内に入ったところにある「40年前の町田市」の立体地図。40年前なら(町田市にではないが)とっくに生まれて自分の足で歩いている。わざわざ40年前を再現したものではなく、40年前に作った「現在の町田市」なのだろう。

たまたま特別展示で、面白そうなことをやってた。ちょっと昔(明治昭和)とずっと昔(縄文)の道具を比べて、その違いと共通点を読み解こう、という試み。町田市は何かと縄文推しである。

くるみを象った土器。縄文時代のスーパー主婦が使っていたに違いない。収納と整理に一家言持つ者はいつの時代にもいたのだろう。

ちょっと昔の人が、大きな数を数えるために使っていた札。ライフハックだ。

昔の黒電話。ダイアルがない。昔の人は音声でAIに希望の相手を告げることで電話をかけていたのだ。ロストテクノロジー。

商店街の福引きの景品はなんと「家」。どうやって持ち帰ったのだろう。

展示の本筋からは逸れるのだろうが、縄文時代の土器は「俺の土器」って感じで、作った人の主張が表に出ているように見えた。他方、弥生時代のものとされているものは「無印土器」っぽく、シンプルで万人受けしそうなデザインに見えた。見ず知らずの人に使ってもらうような、分業の範囲や社会の規模拡大があったのかなぁと想像する。

博物館のすぐ隣には、本町田遺跡(公園)がある。
ここの売りは、縄文時代の集落があったその場所に、三千年後に弥生時代の集落が作られたというもの。一粒で二度美味しいという遺跡である。


こちら(手前)が縄文時代の住居を復元したもので、

こちら(奥)が弥生時代のもの。違いが全然わからない。

実はこれらの違いは、住居の中に入ると見える構造材にある。(伏線は張ってあった)
こちらが縄文。

こちらが弥生。

加工技術(道具)の発達により、より太い樹木から角材を削り出すことができるようになっていたのだ。

昼食は博物館近くの「尾張屋」さんで、胡麻つゆそば。ついで、「ヒルズ珈房」さんというコーヒーショップでお茶。町田に住んでいた頃には、こちら方面に来ることはなかったので、どちらも初見のお店。

おまけ。私の大好物。

2018年9月11日火曜日

帰省1日目: 相模原ふれあい科学館

夏休みを利用して、町田に帰省。心のふるさとへの帰省というのは、客観的に言ってしまえば以前住んでいた街というだけだ。実家や身よりがあるわけでもないので実質、観光旅行である。

初日の行き先は、相模原ふれあい科学館。町田駅から横浜線で相模原駅へ。さらにバスで水郷田名方面に行ったところにある。

行ってみたら、屋外の水の庭園が干上がっていた。節水のためらしい。

子供たちが、普段だったら触れない場所にあるオブジェクトに触って遊んでいた。ダンジョンのギミックを解いて、通れなかった場所に到達といった感じだ。

ダム湖を再現した水槽。特定外来生物(ブラックバスとブルーギル)と絶滅危惧種(ニホンウナギ)が同じ水槽で飼育されている。外来生物の方は、数まで管理されている。


屋外にある水槽は、台風の影響で濁っていた。視界ほぼゼロ。

とは言え、中の魚は元気なので餌やりは可能だ。上から餌をばらまくとたくさんの魚が群がってくる。「天から金が振ってこないかなぁ」そんなことを考えながら餌やりを続ける。

雄英高校ヒーロー科1年A組、蛙吹梅雨ちゃんの新技「保護色」。

昼寝中のカワウソ(特別企画展)。ときどきビクッと動く。夢を見ているのか。

『樅の木は残った』とは関連ないはずだが、ここにも残ったモミの木。

夕飯は神田商店で。焼肉のついで……以上のホルモンの魅力について知るきっかけとなった店だ。