2019年2月18日月曜日

天動のシンギュラリティ


長谷敏司の『BEATLESS』の設定を転用して描かれたコミック。
長谷自身も世界観監修として関わっている。

下記はkindle版 4巻まで読了の上で書いている。現在、7巻まで刊行済み。

『BEATLESS』本編より、6年ほど昔の話。
洋上に作られた人口都市《メガフロート》と、その中で運営されている学園《私立アクアブリッジ学園》が、主人公の活動範囲である。(作中を通して物事の動いているスケールはもっと広い)

メガフロートは、ほぼ全体をホログラム(立体映像)で覆われており、ところどころに存在する、映像のスキマ《ほころび》が主人公達の遊び場になっている。映像のないところが、そのまま公共の管理の行き届かない場所になっており、主人公達はその空き地に自前の映像を広げてゴッコ遊びをしているのだ。
主人公の天童カイトは、厨二病気質の持ち主として学園内でも悪い意味で有名人であり、「黒魔術&ファンタジー風の設定」の立体映像を好んで重ねて遊んでいる。
子供っぽいながらも真剣なゴッコ遊びの中に、割り込んでくる不思議な事故。なんとかそれらに対応し、原因を追って謎を解いていくうちに……(となるのだろう)。

割と王道というか、素直に面白くなりそう、という感触を得ている。『BEATLESS』の世界観が好きな人には楽しみな展開が見られそう。

私はポイントと見ている設定は《賢者会議》という謎のグループで、主人公はゴッコ遊びの仲間《パドヴァ啓明魔導団》の他、この《賢者会議》にも属している。主人公がこのグループの全容をどこまで知っているかは明かされていない。で、このグループを通して学園の中の物事と学園外の公権力が裏で結びついている。
学園モノではよくある設定でもあり、「よく知っている人に実は裏の顔が!」というサプライズを実現するための有用な舞台装置ではあるが、この作品では主人公含めて登場人物があまり素性を明らかにしていないため、有効に働くか否かはなはだ不安だ。

そう。せっかく面白くなりそうな話なのに、見せ方で損しているのではないかというのが、今のところの私の評価だ。
見せ方という言い方をしたが、ビジュアル面よりも、情報をどのように読者に明かしていくかという作劇の要素や、単行本の構成とかの編集の要素を気にしている。

謎の主人公に、謎のヒロイン。謎の幼なじみに、謎の妹に、謎の妹の友達……。登場人物の多くが(少なくとも登場時点では)秘密を抱えた存在として登場し、読者にとってクリアな視点を安定して供給する人物がないのは叙述上の大きな障害ではないかと思う。(思えば、遠藤アラトは読者にとってとても誠実な語り手であった)

ベースとしているのが『BEATLESS』という、精巧な設定を持つSFである。本作では、さらにその上から厨二病気質の主人公を始めとする子供達が思い思いに「ファンタジー風の設定」「魔法少女モノ」をかぶせているので、作劇場も絵面としても、とても難しいものになっている。ハマれば見事なのだろうが、初見者には極端に不親切な導入になってしまっている。

「なぜわざわざ街をホログラムで覆うのか」「なぜ必要以上に人間そっくりのロボットが街中を歩いているのか(ペットまで引き連れて!)」。作中の一般人が常識として知っているはずの知識くらいは、単行本の中、本編の外、早い段階で説明して欲しかった。借りてきた設定だからといって、説明を省かれても困る。
改善は容易だと思うのだけど、今調べたら、もう最終回間際なんだなぁ。

でも、アニメ『BEATLESS』も後半に入ってから面白くなったので、この作品にもそれを期待してしまうのだ。

2019年2月16日土曜日

『BEATLESS』の楽しみかた

http://beatless-anime.jp/ (アニメ公式)

https://amzn.to/2SSYDGJ (Amazon Prime Video)

ヴィジュアルが示すように、人間の男の子がロボットの女の子に出会う「Boy meets girl」モノである……ということになっている。
「なっている」というのは、作中の登場人物からさえ、直接この語を用いて二人(1人と1体)の関係が揶揄されているからだ。

私自身は、むしろ「大切にされた道具はここたまになります。これナイショだよ」(『かみさまみならい ヒミツのここたま』)の構図で観る方が好きだ。(正しくはない。)

「BmG」の装いなのは、主人公が男子高校生であるからだけで、コンピュータの方には性別がないから、これは「GmB」にはならず、非対称な関係だ。作品全体ではもっと俯瞰して、モノ(道具)と人との関係を問うている。

まず目を惹かれた注目すべき設定は、人工知能によるやらかし(事故・犯罪)の被害が、核兵器・原子力災害の用語を援用する形で語られるスタイル。
超高度AI(人間の手に負えないほど能力が伸びたAI)は、ネットワーク経由で社会に危険をもたらしかねない危険物として隔離され、専門の国際機関IAIA(『IAEA』のAI版)がそれらを監視している。
なお、史上最大の「超高度AI漏出災害」は日本で起こっている。しかも地震の二次被害としてである。あと、作品の連載開始は2011年。

私にとって、この作品の一番の魅力は、未来社会とそこで起こる社会問題の構想。原作者 長谷敏司は後に人工知能学会倫理委員会所属(倫理委員会というところがポイント)になり、これは現在も継続している。
また、原作者は作品の設定を一部公開しており、二次創作でない、商業ベースの作品(別版元でも!)に利用可とする試みを行っている。(『アナログハック・オープンリソース』

アニメは原作者の監修を受けつつ、作品を忠実に再現しようと奮闘した。が、背景となる膨大な設定に依存する要素を説明しきれず、評価が分かれることとなった。
説明しきれなかった要素は登場人物の抱える鬱屈の背景にもなっているので、よほど丹念に、何度も観る質の人でなければ、理解が厳しかっただろう。
さらに、(私自身はあまり重要視するところではないが)作画の質も安定しなかったので、全体の構図を知らないままの繰り返し視聴には辛い作品にもなった。二重苦だ。
温泉回・水着回みたいなものもない。正直、商売っ気を疑われるレベルにある。

この『BEATLESS』という作品は、例えるなら「囲碁に超詳しい作家が、架空の囲碁名人戦を舞台に創作した小説のアニメ」だ。
盤面では白黒の石が激しく対峙し、互いの陣地を巡って攻防が繰り広げられているが、囲碁のルールを知らない人には石同士の関係も、何を目指して戦われているのかも分からない。
別のプロ棋士による大盤解説でもあればともかく、画面に映るのが碁盤だけとあっては昼寝必至。
しかも原作者自身は、決して本物の名人でないから、自分より格段に囲碁が得意な名人の手を理詰めで構築していく……時にはハッタリも交え……ということをやっていく。
結果生まれたこの作品は、それなりの予備知識を獲得した読者(視聴者)が、一手一手の意味を考えながら、ときには盤面を過去まで戻してためつすがめつ研究を……というくらいの「沼」を持つ。
だから、ニコニコ生放送の『【東山奈央×長谷敏司】「BEATLESS Final Stage」放送記念 スペシャル特番!!』は、本当にありがたかった。ありがとう、奈央ぼう。
けど、アニメ化に当たっては、ところどころを省略して、本筋を語る枠を確保し、テンポを保つ必要がある。時間(例:納期)は常に、私たち……超高度AIを含む……にのしかかる現実だ。

また、この作品の視聴をさらに困難にしているのは、人間関係の描写の細かさ(情緒的なこまやか、ではなく「こまかい」)。
二次元の人物相関図で簡単に示せる関係は、この作品にはむしろ稀だ。主人公から行きずりの刑事(かろうじて名前がある)に向かうだけでも少なくとも3本は矢が刺さる。
一人の人間は、主人公にとって、不安な自分に笑いかけてくれる大人であり、自分や家族を危険から守ってくれるはずの公務員であり、隠し事をせねばならない潜在的な敵でありうる。
ドラマがある展開でもないのに、場面場面の状況やなりゆきで、目まぐるしく関係が変わる……のではなく、追加され、並立していく。
関係そのものが変わるのではなく、どのレイヤーが重視されるかが場と状況によって変わっていくのだ。ドラマチックになることもない、行きずりの刑事さんとの間でさえこうなのだ。
このような多面的重層的な関係を、多対多で、分析的に描かれるのは、小説としては読み応えがあるが、アニメ表現には辛いものでもある。
でも描かざるを得ないのだ。まず、多数のプレイヤー(ステークホルダー)の入り乱れる乱戦は、この原作小説の見所である。また、この乱戦の最中での振る舞いかたは人間と超高度AIの間の違いを際立たせるものでもある。避けて通っては作品の価値が下がってしまう。
この作品の中では、多くの人間が、AIが、複雑になりすぎた互いの関係性と形勢の判断に必死だ。そんな中、一度ならず自分の命を取りかけた相手にすらも、気軽に(それはもう、まるで何も考えていないかのように)「もう知り合い。無関係な他人ではない」とのたまって、盤面をガンガン複雑にしていく圧倒的強者がいて、それは主人公である。

アニメ作品にまとめるには難しい、という話を散々続けてきた。
私自身が前述の、囲碁の名人戦の中継を観ながら昼寝してしまったクチなのだ。
実際、その時点では原作小説の存在すら知らなかった私が初めて「このアニメ、実はスゴク面白いんじゃね?」となったのは、全24話中16話も過ぎようといったところ。
それまでは、次の放送までに前回までのあらすじを忘れてしまうほどに、ダラダラ視聴していた。むしろ録画予約を切る決断をし損なった結果とも言える。
逆に、作品が完結し、その到達点と全体像を知ってしまえば、再視聴は楽しい追体験だ。これほどの作品を2クールに押し込めたスタッフの苦労が酒の肴になる。
(放送期間を延ばしていたら、むしろモタモタした印象の作品になっていただろう。それはそれで筋悪だ)

『BEATLESS』は作中で語られていることを追う初見ではなく、語られていなかったことを振り返る再視聴が楽しい作品である。

具体的には、原作とアニメを見比べて「リョウ、お前あの時、本当は泣いていたのか」と思いをはせたり、原作にも書かれていない架空のセリフを脳内で付け足したりするのが楽しい。(「痛いところを突かれた!」とか、「すみません!嘘をついていました」の類が多い)