品川用水に沿って歩く、3日目。
12月になって、都内でも防寒を意識した格好が必要になっている。本物の川なら寒さも風の強さもひときわなのだが。旧河川や用水路跡のいいところは、実際には今水が流れていない、ということだ。
学芸大学北側の商店街(都道420号
鮫洲大山線)を東へ。車道のことはさっぱりわからないので、あとから地図で拾っている。
その420号から東に、品川区と目黒区の区境の一部をなしている道があって、そこを進むと林試の森公園に出ることができる。以前、
立会川を歩いた時、水源の碑文谷に行くところで寄り道したところだ。その時は、こんなに見晴らし良くなかった。公務員宿舎を取り壊したようだ。公園が拡張されるのか、それとも別の施設が建つのだろうか。
ライフ武蔵小山店とお茶のいしい園。あっけなく品川用水のキーポイントにたどり着いてしまった。ここで流れが大きく2つに分岐するのだ。
いしい園の脇を通って、正面の青信号のあるほうに行けば大崎方面(東)。
さらに右手側、スギ薬局の正面を回っていけば戸越方面(南)。
ライフ武蔵小山店の一角には朝日地蔵尊がある。お堂にはこの周辺にある(今でもある)高名な寺社への方向案内の道標も納められている。移設されたので、道標としての機能は果たしていない。
今回は戸越方面に向かう。散歩代わりの外出でも、仕事の用事でも行ったことのある場所で目新しさはない。が、品川用水のルーツは、戸越公園(当時は公園ではなく、大名屋敷だが)の池に水を引くための戸越用水であると聞いたからだ。
戸越方面に舵を切り、歩いて行くと品川区立あさひ公園。水車型のモニュメントがある。品川用水の開削を喜んだ当時の人々の喜びようを今に伝えるものだ。
さらに南に進むと、300m以上におよぶアーケード商店街、武蔵小山パルムの南端。まだ入ったことないが。今回は素通り。
パルム商店街の南には、品川区立荏原平塚学園とその名も平塚橋交差点があって、そのかたわらに石碑。平塚橋は中原街道(=都道2号)と品川用水が交わるところにあった、とある。
この平塚橋交差点、今では先ほど出てきた都道420号と中原街道の交差点になっていて、ここで再び品川用水が都道420号と
”合流” する。
その420号を南東に進んで、平塚たけのこ公園。どんな由来かはわからないが、公園内には踏切の警報器があり、奥に進んだところからは東急池上線を上から見ることができる。高架化して踏切を廃止した跡だろうか。
品川用水展で見た、江戸野菜栽培分布図を再び。右上の赤丸「地蔵が辻」が前述の朝日地蔵尊である。たけのこ公園のたけのこは、周辺でとれる野菜がたけのこであったことに由来する。用水が来るまで、この辺りは水不足で水田を作れない場所であった。
420号をさらに進むと戸越公園。肥後国藩主細川家下屋敷の庭園跡……とある。お偉い大名様が、金に任せてわざわざ武蔵境からここまで庭園の水を引っ張ってきた。それが品川用水の前身、戸越用水である。
見よ、この偉容。Money is Power。いや、この場合は Power of Money か。
前回工事中だったところに、新しい建物ができていた。環境学習交流施設、
エコルとごしだ。
館内の内装は、品川区と縁深い各地の木材で作られている。
「ゆたか図書館」の「ゆたか(豊)」が、公園周辺の地名。なんで、こんな「金が余ってます」的な地名を……。
エコルとごしは環境学習施設を名乗るだけあって、環境に配慮した建物になっている。
……まったく中身がない説明だ。具体的には館内の電力消費を抑え、太陽光発電や蓄電施設などを備えて内部で電力も作り、およそ法で定められた基準の9割にあたる一次エネルギー(この場合は購入する電力)を削減している。
建物のエネルギー削減というと、その代わりに中の人間が我慢するとか、手作業でなんとかするイメージだが、ここではむしろ自動化がなされており、換気のための窓の開閉や、緑のカーテンを構成する植物への水やりも基本自動。池に面した外の広場で営業しているキッチンカーの電力まで、この施設から供給する徹底ぶりだ。
施設の3階は、環境教育の場。インタラクティブな映像を使ったものから、アナログなものまで多様な遊具がある。
「あっちに、いろいろあるから学ぼう!」
ぼんやり見物していたしていたところで、後から小学生たちの声が刺さる。刃物で刺されたかのような痛みが背中に走る。
「学ぼう?……『遊ぼう』ではなく?『学ぼう』と言ったか?今!」
そんな言葉を発する小学生が実在する……? 品川区では、品川区にはいるのか。
おいてけぼりにされる中年男性が視界に入ることもなく、常設展示室に駆け込んでいく小学生たち。
有機野菜を売りとした料理を出すキッチンカーで、ホットジンジャーをいただく。「品川区、金持ってるなぁ」「港区、金余ってるなぁ」が口癖になりつつあったが、今回ほど格差を感じたことはなかった。豊地区にあるということ、豊かであるということ……。
戸越公園から品川用水の流路に戻って、品川区立豊葉の杜学園。学園の2つの校舎を隔てる道が品川用水の流路であり、説明の看板が立てられている。さっきの平塚学園といい、品川区立の学園(一貫校)が多いのだろうか。昔から教育熱心な土地柄だったのか。
その道をさらに北上すると、今回の道程の最終地点と考えていた、しながわ中央公園。
山の噴水は稼働しておらず。品川用水の神通力もここまでか!と思ったが、裏に回ったら「故障中」の貼紙があった。
今回、3日目を歩くにあたり、意を決して購入した東京時層地図。
単に古地図を表示できるというものではなく、GPS情報から、古地図上での自分の位置を教えてくれる。
今回は、あらかじめ決めておいた道をたどっただけなので、道から逸れていないかたまに確認したくらいだが、予定の道程から外れていないことを古地図上で確かめられる体験は得がたい。
もちろん限界もあって、古地図同士、現在のマップとの重ね合わせはできない。ゆがみ方がそれぞれ違うので。
時間が余ったので、久しく~といっても3ヶ月ほど~行ってなかったしながわ水族館へ。当時、この水族館にはどうやって水を引いていたのだろう。
東京時層地図で江戸時代の現在地を見てみる。水族館自体が水没していたようだ。
品川用水の開削された時代、しながわ水族館は未だ海面下にある。
そして、1991年10月19日。星辰が正しき位置についたその時に、旧き神々の住まう水族館は長き眠りより目覚め、地上にその姿を現わすのである。