2021年5月4日火曜日

荏原七福神

その昔、東京の南側に「エバラ」という帝国があり、現在の品川、目黒、大田の3区を中心に、北は白金、高輪(港区)、西は弦巻(世田谷区)、南は多摩川を越えて川崎にまで及ぶ広大な版図を誇っていたという。

エバラ帝国の臣民は、日々のささやかなお祝いに焼肉を食することとしており、彼らの使っていた美味な調味料は「黄金の味」と呼ばれた。(その味と名は、現在横浜にある食品会社に伝わったとされる)

過去の偉大な帝国を偲んで焼肉を……食いたかったが、アルコール抜きの焼肉を想像するとなんとも味気なく、また、家での焼肉は後片付けが面倒なため、そちらは断念。彼らが信仰していた7柱の神々を巡る3時間ほどの旅に出た。

過去のこの投稿の伏線回収だ。


JR大井町駅から南西方向に出た、この地点からスタート。

緑道沿いに進んでいくと、最初の神様。
大井蔵王権現神社(福禄寿)だ。オフィス・商業ビルに囲まれた中に唐突に神社がある。

通ってきた緑道は「立会道路」の一部だ。次の神社に向かうにも立会道路を通るが、この道路、いい感じに蛇行する。
名前がついた道路の割に、1車線しかない。名前も名前だし「立会川」の上流とかなんだろうか。ただ、京急立会川駅の傍を流れる立会川とは、南北方向のズレがかなりの距離(京急線で1駅分)あるので、その空隙がどう埋まるのかは今後の調査……と思っていたところ。
帰宅後に、先の2匹の猫の写真をよくみたら「立会川に蓋をした」とズバリかいてあった。

今回の寺社を巡るこのルート、この後も立会道路やその1本隣の「三間通り」を進んでいくので、昔はこの立会川沿いに人が多く住んでいたのかもしれない。


不動院・東光寺(毘沙門天)。境内に犬の置物がいくつもあった。犬とゆかりのあるお寺なのかと思ったけど、特にそういうエピソードがあるのではなく、ペット供養を受け付けているらしい。

東光寺でひときわ目立っていたのが、このトイレの神様。背後にあるのは、稼働中のトイレらしかったが今回は遠慮。

立会道路をさらに西進するとJR西大井駅。そして、その手前に西大井広場公園。この場所、かつては噴水だったのかもしれないが、今は水がない。

西大井駅を越えた後、立会道路から離れて、南方向へ。
養玉院如来寺(布袋尊)。境内の植栽が大盛り。季節を選んで見に来たい場所。ただ、密にはなるだろうなぁ。

蛇窪神社(弁財天)。白蛇を祭っている神社。ここだけ、なぜか参拝客が多かった。しかも客層が若い。絵馬を見たら、特定の役者さんを応援するものが多かった。文字通りの聖地巡礼だったらしい。(正確には、祭っているのは「白蛇を」じゃなくて「白蛇も」であるようだけど……キャラ立ちって大事)

蛇窪神社からの帰路、唐突に「蛇窪村」なる地名が。どっちかというと、「スネークタウン」のほうが気になる。

蛇窪神社から、さらに西に進むと東急荏原町駅があって、ここがかつての帝都なのだろうかとも思えたが、帝都の場所については、いまだ定説や発掘資料等は無いようだ。


荏原町駅の踏切を渡るとすぐそこに、法連寺(恵比須)。
入り口からちょっと入ったところに。恵比須様。

賽銭箱等もなかったので、ご挨拶程度で帰ってきてしまったけど。在原七福神会の事務局として(キャラもの含め)各種グッズを「頒布」しているのはこのお寺だったみたい。「お布施」してくるべきだったかなぁ。


法連寺を出て立会道路に戻る。
あ、立会川って書いてある。やはり「立会道路≒旧立会川」なのだ。

さらに北上すると。
現在の立会川が実際のところ、どうなっているのか。それを示す情報が荏原南公園の傍らにあった。今立つこの立会道路の下がそのまま下水道(立会川幹線)だ。

荏原南公園の北端あたりから立会道路より、1本西の道を北上。摩耶寺(寿老人)がある。
なんとなく、近代的な構え。正月とか賑わいそう。

摩耶寺のすぐ隣に小さい丘があり、そこに小山八幡神社(大黒天)。
坂道と階段には思わず「ウッ」となる。いや、大した高さでもないんだけど。

坂を登って、左側に進むと大黒天様。東から西へと7柱を回ってきた。

小山八幡神社の境内の立て看には、この1年で感染症対策のシンボルとして、すっかり定着してしまったアマビエ様。
神社に妖怪が入り込むというシチュエーションにしては手口がカジュアルすぎる気がしないでもない。

「妖怪は、古い神様が貶められた姿」という話も聞く。もしかしたら私たちは「かつての神様が復権する姿」とか「もともと妖怪だったものが、時流に乗って神様になるところ」を見ている(というか、むしろ積極的に関与している)のかもしれない。

荏原七福神(しながわ観光協会) https://shinagawa-kanko.or.jp/recommended_route/ebarashichifukujin/

2021年5月2日日曜日

仙台へ (東海道経由)

“宮城県の人って、宮城県のこと仙台県って間違われたら怒るの?”

私に関しては、答えはNoだ。宮城県の背後に、かつての仙台藩の存在を意識しているからだ。また、経済圏としての仙台圏が県境を越えて広範囲であることも無視できない。



せっかくのゴールデンウィークなので、帰省することにした。


京急北品川駅。品川区にある「本当の品川駅」はこちらだ。しかしながら、品川区はJR目黒駅から恵比寿駅方面へ向けてその触手を伸ばしており、ここが区の最北端というわけでもない。品川区の北端ではなく、品川宿の北側というのが正しそうだ。

駅の裏手には海。太平洋に繋がる。この辺り、江戸時代には漁港があり、目黒のサンマはその漁港で水揚げされたものだという(諸説アリ□)。

船だまりのすぐ隣にある公園。「この石、クジラを象ったものかなぁ」と思ったら、ずばり「鯨塚」なる木の看板が。品川史跡?どこに?立ち入らなかったので、鯨塚そのものは見損ねた。そして公園の裏は神社。(あの、狭い場所にクジラかぁ。さすがに盛りすぎだろう)とか心の中で。

公園の隅っこに、公園の由来が記されている。公園は旧目黒側を埋め立てた跡の上にあり、その旧目黒川は先ほどの場所から海に繋がっていた。(そもそも品川というのが目黒川の古い名前だ)
目黒のサンマが、今私が立っている場所を通ったのだ。

なお、北品川駅付近を北端とする、東海道品川宿スタンプラリーが絶賛開催中である。そして、緊急事態宣言中はその拠点のいくつかが絶賛休業中である。

東海道を南下すると、品川宿の本陣跡が。とはいえ、北品川駅周辺は仕事帰りに歩いてみたりした場所でもあるので、既に見知った場所に新しい色がつくという感覚だ。

今日「品川宿本陣跡」として訪れたこの場所、昨日までの私にとっては「商店街にある保育所と公園」だった。公園の名前が「聖蹟公園」なので、なおさら分かりづらい。
わざわざ石碑まで作っちゃってるが、「聖蹟」というのは「天皇がいらっしゃった場所」くらいの位置づけなので、さほど珍しさを感じるものでもなく、私の住む大田区にも「聖蹟蒲田梅屋敷公園」がある。
今なら「本陣跡公園」とかのネーミングになるんだろうなぁ。

品川宿交流館。お休み処との名に違うことなく、お休み中であった。

交流館などはお休みだが、品川宿は実稼働中の商店街でもあるので、人通りがある。とは言え、「ある/ない」のどちらかと問われれば「ある」という程度なので、ソーシャルディスタンスを保つのにとりたてて注意が必要ということもない。私の理想とする、ワールドディスタンス(視界に他の人間が入らない状態)にはほど遠いが。

今回は、昼食後に家を出て夕食前に帰宅する予定の「長めの散歩」だ。食事をしないので、外出先への経済効果はほぼない。通勤定期で行ける場所なので、交通費もない。さすがにもったいないので自宅で食べられるものをいくつか購入した。
しかし、今日は飲食はしない予定である。人前で覆面をとってしまってはニンジャごっこにならないからだ。


さらに南下すると品川橋。目黒川の上にかかっている。この橋を基準に品川宿が南北に分かたれる。先ほどの旧目黒川とのつながりは不明。品川歴史館とかで、もう一度古地図を見れば分かるのだろうけど。

街道松の広場。このくらいのサイズの広場があちこちにある。そしてここにも忍び寄るヒアリの恐怖。

江戸時代の宿場町風の景観を意識して建てられたのであろう小学校。

さらに南下して、青物横丁(ここは結構人通りが多かった)を通り過ぎると、仙台が近づいてくる。
ここは普段、通勤中の電車から見かけていた「昇るのがキツそうな坂」。この坂の名前が仙台坂だった。知らなかった。

ほら、「ここが仙台坂です」と書いてある。しかし別名が「くらやみ坂」か……。

あまりの存在感で、道路までねじ曲げてしまった「仙台坂のタブノキ」。

坂を登ったところには……。
唐突に現われる、仙台味噌の醸造所。ここで作った味噌、一体どこで買えるのだろう。とはいえ、たまに使っても液味噌っていう自炊環境なので、買ったとしても持て余すのがオチなんだけど。

こんなところに唐突に存在する仙台坂と仙台味噌。その理由がちょっと歩いたところにある。ここに仙台藩の下屋敷があったのだ。
この場所、京急鮫洲駅から第一京浜越しに見える大井公園の中にある。通勤電車からぼんやり見ていた木々のすぐ向こうは仙台藩であったのだ。目的地に到着。ここからは帰り道だ。

先ほどのクジラもそうだけど、鮫洲というのも割と盛ってる感ある地名だ。たしかに品川区の水族館にはサメもいるけど。因幡の白ウサギのワニが実はサメだったらしいから、こっちにはワニが住んでいたのかもしれない。幽霊の正体見たり枯れ尾花。


大田区を目指し、東海道をさらに南下。
京急立会川駅近辺。品川区のヒーロー、「ハタチの龍馬」のモデルとなった人物の銅像がある。傍らの説明には「材料の一部は桂浜から」とか、書かなきゃバレなかったであろう余計な一言が。

現在の立会川。昔は相当汚染されていたらしいが、今ではまるで人工的に着色したかのように美しい緑色。

立会川より南側には、東海道と並走するように南北方向に長い「しながわ区民公園」が広がっている。
メインコンテンツの水族館が休業中なので、閑散としているだろうと思ったが、スポーツ少年たちが集っていたので素通りすることにした。(この辺は想定内)

公園沿いがそのまま東海道なので、そのまま南下を続けると遺跡っぽいところに出てきた。
なんと、江戸時代の処刑場「鈴ヶ森刑場」の跡だ。こんな人が処刑されていたらしい。
  • 八百屋お七(放火犯)
  • 天一坊(経歴詐称)
  • 平井権八(強盗殺人)

品川区民公園、南北から入るばかりで、周辺を歩いたことなかったので、こんなスポットがあったの、ぜんぜん気付かなかった。

で、教育委員会が設けたこの看板、文言の一部が削り取られている。「この記述は誤りである」という人がボランティア活動をした跡だろうか。Wikipediaの編集合戦みたいだ。


区民公園に入る予定は無かったんだけど、ここで雨が降り始め、雨具の用意が無かった人々が一目散に公園から抜け出してきた。これはチャンスだ。果たして何のチャンスかは、まだわからないが。
休業中のしながわ水族館。例年なら、ゴールデンウィーク狙いの企画があり、人間でごった返す、この時期に訪れるのは避けるところなのだけど。

トレーナーがショーの訓練をしているような声が響いてくる。客が入らないだけで、水族館自体の活動は続いているのだ。

しな水の危険な生き物たちが、皆が来るのを待ち構えている。