2023年1月18日水曜日

仙台うみの杜水族館

東京都の東側から神奈川県の横浜市にかけて、鉄道路線で言えば都営浅草線~京浜急行の流れには多くの水族館が並んでいる。誰もがうらやむ水族館天国……の沿線に住んでいる私が、「むしろそっちがうらやましい」と思っている水族館が幾つかあって、その一つが「仙台うみの杜水族館」だ。

「日本酒ナイト」「宮城ワイナリー集結」といった飲食系から、「シートピア」という(人間の)パフォーマーによるアクロバットやダンスを見せるもの、多種多様なイベントの噂が漏れ聞こえてくるからだ。

うらやましい。株式会社八景島が運営しているのだ。アクアパーク品川とは言わないが、八景島でもやってほしい。もっとも、宮城県民で「『ジョジョ』コラボ~」と言っている者がいるであろうことも容易に想像が付くのだけれど。


広大な駐車場は、駅近の水族館では見ることのないもの。

最初の水槽「マボヤのもり」。実は、この館で一番好きな水槽である。

大水槽を設ける館は多い。けど、ちょっと違和感がある。

スナメリがいる?!哺乳類入れるところは初めて見るなぁ。

巻き貝とその卵?だろうか。

あまちゃん。もう10年前か。

カキ養殖のコーナー。互いの被災時に助けあった日仏の養殖道具の比較。

広瀬川をイメージした一角にある、水景施設。自分の中では生き物より優先度が高いものだ。

コバンザメ。生き物に取り付いてないと、困りそうなもんだけど。

月曜日の私みたいな顔した魚がいた。虚無。

水族館を支えるスポンサー企業。名だたるご当地企業が並ぶ。一部「仙台うみの杜水族館」と書かれたプレートが残っている。まだ「空き」がありますよ、ということだ。
写真には入れてないが、館内の水槽のいくつかは特定の企業がスポンサーとしてついており、企業ロゴが水槽の傍らに飾られている。

津波が来た時だけ入れる、秘密の場所が隠されているらしい……。
避難訓練自体をイベント化したら得るもの多いだろうと思うのだが、なかなか話を聞かない。休館日に、招待者(この日だけは客と呼ばない)だけの、バックヤードのそのまた裏ツアー。どっかでやらないかなぁ。

先に挙げたスナメリのいる大水槽もあるが、それ以上に水槽の数の多いことには一言触れておきたい。webサイトには「生物紹介」のページがあるが、ぜんぜん足りてない。
「圧倒されるほどのボリューム!」とは言わないが、(すみだ水族館+アクアパーク品川+しながわ水族館)を足して2で割ったくらいの見応えはある。
ご本尊の八景島で表現すれば、「アクアミュージアム≦うみの杜水族館<アクアリゾート全体」くらい。(まだ、釣り堀はないからね)


ショップで売られていたドリップコーヒー。右がうみの杜。左がアクアパーク品川。同じ八景島系列、包装もそっくりということで、「製造者同じなのかな」と思って裏返してみたら、それぞれ仙台市、神奈川県葉山町という全然別の場所の業者の製造だった。地産地消。

新設された「うみの杜ビーチ」には、行かずじまいだった。鳥インフルエンザが流行っていたので、ペンギンをじっくり見る対象から外していたのと、フードコートの外側という場所がわかりにくかったことによる。


2023年1月15日日曜日

八木山動物公園 フジサキの杜

たぶん、1度しか訪れたことがない。幼稚園とか、そういう年代の頃だ。しかし、たぶん一度は来たことがあったはずだ。県民だったもの。

いや、ぜんぜん見た記憶無いよ。

西門から入ったら、すぐ動物慰霊碑が。他の人のことは知らないが、私は動物慰霊碑を見て、「あぁ、動物園に来た」と実感する者だ。みんなみんな生きているんだ、だから死ぬんだ。そして人ならぬ彼らにも敬意が払われるのだ。

他の動物園と同様、この動物園にもクジラがいない。次に図体が大きい動物は、この園ではゾウであった。

下々のシマシマを見下ろすキリン。

首都圏の動物園・水族館は競合する施設が多いので、各園各館は自らのキャラ付けを意識し、個性を磨こうという方向で競争努力が行われている。
他方、地方の動物園は、地域住民の期待を一身に受けて、需要を満たさなければならない。ゾウさん、ライオンさん、キリンさん、トラさん……。「動物園にいてしかるべき」と思われている動物は、その実絶滅危惧種で入手困難とかザラなのでプレッシャーもひとしおだろう。
ならばこそ、横のつながりは大切にしたいもの。


よこはま動物園「ズーラシア」のブログで「八木山動物公園に送りました」という記事が書かれていたので、それ以来、機会があれば見たいと思っていたキリンのエミリーさん。背格好から奥の子だろうと判断したが、面識がある相手でもないので完全に外している可能性も高い。人の顔さえ覚えるのが苦手という人間には、動物の個体判別は荷が重い。

もっとも、実際に見てみたら、多くの動物が他園から来た者達で、横浜市の動物園から来たのもエミリーさんだけではなく、同じ横浜市の動物園でも、むしろ金沢動物園のほうが多いくらいだった。すげえな、金沢動物園。みんな、見に行くがよいぞ、金沢動物園。


プログラミングの神、ニシキヘビ様。最近のAI(ディープラーニング)ブームで、さらに信者数を増やしているとか。

寒風を避けて、壁際に陣取るライオン。

股間を見せつけてくるホッキョクグマ。セクハラ疑惑。

鳥類も結構充実。猛禽類のケージの背面には、地元の学生が描いたのであろう背景が。馴染みすぎて、生き物を探すのにちょっと困るほどだ。

丸々と太ったイノシシと手前のタヌキ。動物の生活空間としては別れていても、客の目線では一緒にいるように見える。こういう感じの工夫が随所に見られる。

ペンギン舎……にはとても思えない。鳥インフルエンザ対策か、工事中の仮住まいか。

首都圏の動物園で一大ブームとなっている消防ホースもふんだんに使われていた。しかも、消費に対して供給力が大きいのか、まだまだキレイなホースが多かった。

長らく地元唯一の動物園であったこの園~~今では蔵王キツネ村がある~~、行ってみたそこは、地元の企業スポンサーと住民に支えられつつ、最近のトレンドも積極的に取り入れ、老朽化が進む施設を工夫しながら使い続けている場所だった。
ザ・動物園に来たって実感が沸くところだった。実際、動物園なんだけど。

2023年1月13日金曜日

地底の森ミュージアム

友人の厚意に甘える形で、仙台市郊外の園館をハシゴすることができた。

公共交通機関の網がある首都圏ならともかく、地方都市で園館をハシゴするというのは自力では考えにくい。むしろ、再入館を繰り返したり、周囲をグルグル歩き廻ったり、他の客が見向きしないスポットを探すほうに力を注ぐ。あるいは早々に帰宅して寝るとかだ。

私的交通機関に便乗させてもらい、最初に、一番行きたかった場所に行く。自分が県民だった頃はまだなかった施設「地底の森ミュージアム」だ。

うん、事前情報がなければ何の施設か全くわからない。知っていれば中にあるものが、とても陽光を嫌っていることが外観に現われているのだが。

入口にあるのは門松(!)。仙台城下で伝統的に飾られていたもの……と説明されていたが、明治期に姿を消した本当に古いもので、今ではほとんど見られないらしい。
市内の博物館等では展示を続けているらしいが、駅前商店街の初売りとかでも飾って欲しい。ハッタリの効いた、こういう門松で初売り客を迎えて欲しい。

これだ。これを見に来たのだ。

説明がなければ、処理を待つゴミの集積場にも見えるこの広いスペースが、この施設のメインの展示物だ。

これは、氷河期の森の跡を、そのまま保存しようという野心的な試みだ。
乱雑に散らかっている木材のようなものは、そもそもが自然の木であったものであり、幹や根が発掘された当時の配置のまま、ポリ…なんとかいうシリコン素材が染みこんだ、渇いた液浸標本ともいうべきものになっている。
歴史にも植物にも疎い私には、とても情報の密度が薄く感じられるこの部屋全体が、温度湿度管理を要する出土品の保管庫である。この場の維持のために費やされているであろう努力…主に水分との戦い…を想像すると気持ち悪い笑いがこみあげてくる。

奥の方には、この地を訪れた旧石器時代の狩人たちが囲んだたき火の跡がある。出土した石器、あるいは石器を削り出したあとの石片の配置など諸々から、狩人たちの役割分担やその日の収穫が無かったことまで分析されている。いやはや、ここまで来ると余計なお世話を越えてストーカーじみている。2万年という時を超えた今にいる。


情報の密度が薄そうに感じられるのは、第一印象だけの話。素人目にも面白そうと思える場所にはマーキングがしてあるし、時間経過によってライティングが変わり、スライドが上映され、狩人たちの様子を再現したビデオが上映される。

階段で地下から1階に上がると、もう少し普通の博物館っぽい場所になっている。ビデオで再現された狩人の様子が、どのような根拠で導かれたものなのか。推理ショーの種明かしだ。
石器を作りかた、石器の使いかたの各種ビデオ教材。石片の配置から、バラまいた犯人の行動を推測する手口の解説……。

狩人たちの追跡を逃れた鹿…の子孫たちの剥製。

遺跡の発掘調査に多大な貢献があったと噂される富沢博士。公にはあくまで架空の人物ということになっているが、果たして。

館の外では、氷河期の森が再現されている。とはいえ、現代は氷河期ではないので、当時の植生の再現には相当な苦労があるようだ。(今だと、北海道や樺太でしか生きていけない植物ばかりである)
ストップ温暖化。カムバック氷河期。次の氷河期までには、10万年単位の年月が必要らしいが。

ミュージアムショップこそないが、物販コーナーには「自分へのプレゼント」向けの販売物が各種ある。荷物になるような大物がないのがありがたい。
ハンドメイドっぽい品が多いので、買い逃しに注意。

2023年1月11日水曜日

帰省

コロナ禍も全然落ち着く気配がないので、あきらめて帰省することにした。

帰省と言えば、過去にも『ダーク帰省』という記事を書いていた。「あれから10年か……」と思ったが、2016年の夏だったので、まだ7年経っていない。記憶というのは当てにならないものだ。

東京駅や仙台駅の混雑はコロナに良さそうなので、上野-福島間で新幹線に乗る。東京駅の混雑はコロナ以前から風邪の原因と疑ってきた。今にして思えばマスクをしていれば避けられたのかもしれない。

荒川を越える。コロナによる外出制限の下、近所の寺社・川・用水路などを歩きまわった。以前は「田舎の風景」の一言でまとめられていたものが新鮮に感じられる。いちいち地図で名を確かめ、水の流れの方向を見定めようとしてしまう。

福島駅に到着。新幹線ホームでは運休中の電車が模型で再現されて……いるのではなく、コロナ感染防止のために止めているらしい。

福島の銘酒コレクション。知ってる銘柄が「奥の松」と「国権」くらいしかない。日本橋のMIDETTEにお参りしなければならないようだ。

栄養摂取の啓発ポスター。こうして書かれてみると、確かに鉄分が不足しているようだ。大宮には、「行く時はいっしょに」という相手がいて、タイミングが合うのを待っているのだが。

駅を観ているだけで時間が経ってしまう。いいかげん外に出ないと。


小学生の頃の福島駅前のシンボル、デパート中合のあった「辰巳屋ビル」は解体工事中だった。

中学生~高校生の頃の福島駅前の中心地、コルニエツタヤというファッションビルが建っていたところは、紆余曲折を経て福島県立医大の建物になっていた。ファッションビルとはいえ、私の目的のテナントは岩瀬書店だったが。本屋で開催されるイベント(若手の声優のサイン会)というのが目新しく、ここは文化の発信地であるとみなしていた。 ……とはいえ、宮城から県境を越えて福島まで自力で頻繁に通うような財力は無かったので、情報を事前に知ることもなく、それらイベントにはとうとう参加できずに終わった。

エンドーチェーン福島店の跡地は、市民がイベントを開催する広場として使われていたが、グレードアップして屋根がついていた。

駅前商店街の片側が丸々工事中だったが、前述の辰巳屋ビル含めて、全体を1つの施設に統合するようだ。駅前が寂れて、バイパス中心の、移動に車が必須の地域になると、子どもや老人が自由を奪われてしまうので、頑張って欲しいところ。(と考えると、駅前にでっかいビル建てたのは医大の英断と言えるか)

除染情報プラザは「環境再生プラザ」と名を変えていた。(福島県&環境省の施設。同じものだよね?)
かつての除染情報プラザでは、県内各地の除染作業の進捗がマジックで手書きされ、「日々更新される最新情報」という雰囲気に満ちていた。環境再生プラザは、腰を据えて福島県内の復興への取り組みを紹介するもののようだ。
展示を見るに、問題は消えてなくなったわけではなく、今の主な関心事は中間貯蔵施設になるようだ。

東北本線沿線の川とか諸々を見て帰りたくなったので、日が落ちる前に電車に。

2022年12月19日月曜日

品川用水(3日目)

品川用水に沿って歩く、3日目。

12月になって、都内でも防寒を意識した格好が必要になっている。本物の川なら寒さも風の強さもひときわなのだが。旧河川や用水路跡のいいところは、実際には今水が流れていない、ということだ。


学芸大学北側の商店街(都道420号 鮫洲大山線)を東へ。車道のことはさっぱりわからないので、あとから地図で拾っている。

その420号から東に、品川区と目黒区の区境の一部をなしている道があって、そこを進むと林試の森公園に出ることができる。以前、立会川を歩いた時、水源の碑文谷に行くところで寄り道したところだ。その時は、こんなに見晴らし良くなかった。公務員宿舎を取り壊したようだ。公園が拡張されるのか、それとも別の施設が建つのだろうか。

ライフ武蔵小山店とお茶のいしい園。あっけなく品川用水のキーポイントにたどり着いてしまった。ここで流れが大きく2つに分岐するのだ。
いしい園の脇を通って、正面の青信号のあるほうに行けば大崎方面(東)。
さらに右手側、スギ薬局の正面を回っていけば戸越方面(南)。

ライフ武蔵小山店の一角には朝日地蔵尊がある。お堂にはこの周辺にある(今でもある)高名な寺社への方向案内の道標も納められている。移設されたので、道標としての機能は果たしていない。

今回は戸越方面に向かう。散歩代わりの外出でも、仕事の用事でも行ったことのある場所で目新しさはない。が、品川用水のルーツは、戸越公園(当時は公園ではなく、大名屋敷だが)の池に水を引くための戸越用水であると聞いたからだ。


戸越方面に舵を切り、歩いて行くと品川区立あさひ公園。水車型のモニュメントがある。品川用水の開削を喜んだ当時の人々の喜びようを今に伝えるものだ。

さらに南に進むと、300m以上におよぶアーケード商店街、武蔵小山パルムの南端。まだ入ったことないが。今回は素通り。

パルム商店街の南には、品川区立荏原平塚学園とその名も平塚橋交差点があって、そのかたわらに石碑。平塚橋は中原街道(=都道2号)と品川用水が交わるところにあった、とある。
この平塚橋交差点、今では先ほど出てきた都道420号と中原街道の交差点になっていて、ここで再び品川用水が都道420号と ”合流” する。

その420号を南東に進んで、平塚たけのこ公園。どんな由来かはわからないが、公園内には踏切の警報器があり、奥に進んだところからは東急池上線を上から見ることができる。高架化して踏切を廃止した跡だろうか。

品川用水展で見た、江戸野菜栽培分布図を再び。右上の赤丸「地蔵が辻」が前述の朝日地蔵尊である。たけのこ公園のたけのこは、周辺でとれる野菜がたけのこであったことに由来する。用水が来るまで、この辺りは水不足で水田を作れない場所であった。

420号をさらに進むと戸越公園。肥後国藩主細川家下屋敷の庭園跡……とある。お偉い大名様が、金に任せてわざわざ武蔵境からここまで庭園の水を引っ張ってきた。それが品川用水の前身、戸越用水である。

見よ、この偉容。Money is Power。いや、この場合は Power of Money か。

前回工事中だったところに、新しい建物ができていた。環境学習交流施設、エコルとごしだ。

館内の内装は、品川区と縁深い各地の木材で作られている。
「ゆたか図書館」の「ゆたか(豊)」が、公園周辺の地名。なんで、こんな「金が余ってます」的な地名を……。

エコルとごしは環境学習施設を名乗るだけあって、環境に配慮した建物になっている。
……まったく中身がない説明だ。具体的には館内の電力消費を抑え、太陽光発電や蓄電施設などを備えて内部で電力も作り、およそ法で定められた基準の9割にあたる一次エネルギー(この場合は購入する電力)を削減している。

建物のエネルギー削減というと、その代わりに中の人間が我慢するとか、手作業でなんとかするイメージだが、ここではむしろ自動化がなされており、換気のための窓の開閉や、緑のカーテンを構成する植物への水やりも基本自動。池に面した外の広場で営業しているキッチンカーの電力まで、この施設から供給する徹底ぶりだ。

施設の3階は、環境教育の場。インタラクティブな映像を使ったものから、アナログなものまで多様な遊具がある。

「あっちに、いろいろあるから学ぼう!」
ぼんやり見物していたしていたところで、後から小学生たちの声が刺さる。刃物で刺されたかのような痛みが背中に走る。
「学ぼう?……『遊ぼう』ではなく?『学ぼう』と言ったか?今!」
そんな言葉を発する小学生が実在する……? 品川区では、品川区にはいるのか。
おいてけぼりにされる中年男性が視界に入ることもなく、常設展示室に駆け込んでいく小学生たち。


有機野菜を売りとした料理を出すキッチンカーで、ホットジンジャーをいただく。「品川区、金持ってるなぁ」「港区、金余ってるなぁ」が口癖になりつつあったが、今回ほど格差を感じたことはなかった。豊地区にあるということ、豊かであるということ……。

戸越公園から品川用水の流路に戻って、品川区立豊葉の杜学園。学園の2つの校舎を隔てる道が品川用水の流路であり、説明の看板が立てられている。さっきの平塚学園といい、品川区立の学園(一貫校)が多いのだろうか。昔から教育熱心な土地柄だったのか。

その道をさらに北上すると、今回の道程の最終地点と考えていた、しながわ中央公園。
山の噴水は稼働しておらず。品川用水の神通力もここまでか!と思ったが、裏に回ったら「故障中」の貼紙があった。

今回、3日目を歩くにあたり、意を決して購入した東京時層地図

東京時層地図
単に古地図を表示できるというものではなく、GPS情報から、古地図上での自分の位置を教えてくれる。
今回は、あらかじめ決めておいた道をたどっただけなので、道から逸れていないかたまに確認したくらいだが、予定の道程から外れていないことを古地図上で確かめられる体験は得がたい。
もちろん限界もあって、古地図同士、現在のマップとの重ね合わせはできない。ゆがみ方がそれぞれ違うので。

時間が余ったので、久しく~といっても3ヶ月ほど~行ってなかったしながわ水族館へ。当時、この水族館にはどうやって水を引いていたのだろう。

東京時層地図で江戸時代の現在地を見てみる。水族館自体が水没していたようだ。

品川用水の開削された時代、しながわ水族館は未だ海面下にある。
そして、1991年10月19日。星辰が正しき位置についたその時に、旧き神々の住まう水族館は長き眠りより目覚め、地上にその姿を現わすのである。