2026年2月1日日曜日

意識消失

長年の懸念であった鼻の通りを良くしようと思い、手術を申し出たら、内視鏡手術だと言われた。それなら半日コースかな……と話を進めたら、全身麻酔が必要なので入院が必要だと言われた。
いつも忘れるんだけど、鼻の見えている部分って、氷山の一角でしかないんだよね……。

でも、まあ、しかし。全身麻酔もつい最近気になる事柄であったから、この際、体験してみっか。せっかくだから。

全身麻酔が気になる……というのは、「意識」との関わりがあるからだ。で、「意識」が気になるのは、生成AIに欠けているものだからだ。
生成AIには意識がない。ユーザーとのチャットの中で、立ち上がり、その度に消えていく。上遠野浩平の『ブギーポップ』のような自動的な存在だ。
日々の生活で、仕事でその恩恵は受けていても、SFファンとしての私は今の「生成AI」に不満を持ったままだから、「その次」のカギになりそうなヒントは大歓迎だ。

手術の日程が見えてから、まず私が行ったのは、そもそも「意識とは何か」に関する生成AIとの対話だった。

  • 「全身麻酔がなぜ効くのか、未だにわかっていない」という言説はどこまで、あるいはどういう意味で本当なのか
  • 現代の脳科学で「意識」はどのようなものとして描かれているのか

生成AIは現在有力な説として、ジュリオ・トノーニの「情報統合理論(IIT)」を紹介してきた。脳の各部位の対話がつながることで複数の情報が一つの「体験」として統合される。この「情報が統合されている状態」が「意識のある状態」であると言うのだ。この説明だけではさっぱり分からんね。
ともかく、麻酔薬で意識を喪失すると、脳内の各部位同士のネットワークが分断されて機能しなくなるらしい。じゃあ、そのネットワークの分断と再統合を体験してみるか。ぼっち株式会社のBCP(事業継続計画)のテストだ。
生成AIとは何回か質疑を繰り返したが、そのうち「何が起こったか、ぜひ教えてくれ」と会話を結ぶようになった。

看護師に付き添われて、歩いて手術室に向かう。
手術室に入る前に、自分の名前を確認され、手に巻かれたバンドのバーコードを照合される。あと、この後受ける手術の対象部位を私自身に聞かれる。数多くの病院で取り違え事故が起きた、その対策の横展開なのだろう。
手術室のスタッフは事前に面接を受けていた方もいるが、初対面あるいは2回目の方ばかりだ。その中に主治医がいて、声をかけてきてくれた。

一生に何度もない場所なので、懸命に周りのモニタの表示項目などを観察する。好奇心が最優先だ。
執刀医らしき先生と麻酔科医の先生が中心に、読み合わせが行われる。紙の資料をもとに行っていたが、二人とも事前に頭に入っているものらしく、迷いのないテンポだ。
覚えるヒマも無い、幾つかの手順のあとに「麻酔薬を入れる」と告げられる。
生成AIとの会話では麻酔薬を入れた後に、10からのカウントダウンを行うとされていた。しかし、そんな間もなく視界が真っ暗になってしまった。電源断、誰かが電源コードを引っこ抜いたのだ。
カウントダウンを行う方針ではなかったのか、それとも私自身が意識を即座に手放してしまったのかは謎として残った。

まず視界に入ったのは、オレンジ色の点滴バッグだった。事前に渡された薬剤情報の中にあったものだ。
足に圧迫感がある。そういえばエコノミー症候群を避けるための機械を取り付けるという説明も受けていた。
手術室のスタッフの誰か、おそらく麻酔科医から、自分の名前を聞かれ、それに答えたような気もするが、どのタイミングだったか覚えていない。

身体の自由は利かず、呼吸も自由ではなく、直感的にはわりと大変な状況だったはずだが、私自身は事前にもらっていた情報と周囲の状況との照合に集中していた。頭の中にその様子を俯瞰するもう一人がいたのか、現場猫が「ヨシ!」と指さし確認する絵柄が想起された。
「もしかしたら、取り乱してスタッフに迷惑をかけるかも」という心配もしていたが、それどころではなかった。スベるのを覚悟して「ネタをかます」余裕も無かった。
主観的な時間経過がないのでタイムスリップした感覚になるかも、という期待もあったが、客観時間の変化を確認する手段がなかったので、そこは不発に終わった。

最初に形になった感情は、意外にも「感謝」だった。病院のスタッフへの……という、分りやすくハッキリしたものが対象ではなかった。
あるべきものが、そこにある。ものごとが定められた手順通りに進められたことへの、ものごとが「秩序だっていること」への感謝。
医療技術、それを支える現代文明への感謝。
それらを担っている現場の人々と、たまたまこの場に居合わせていない、見えない人々への感謝。

2026年1月1日木曜日

千川上水 (1)

武蔵境駅。大田区くんだりから、そうそう来る場所でもないと思っていたのだが。
駅から北西方向にまっすぐ道路が延びている。

まっすぐ行った先の境橋付近に、玉川上水から千川上水への分水工。奥が千川上水。
この場所を探すのに10分くらいさまよった。
もう少し東に、境水衛所跡の碑もあったらしいのだが、見逃した。

水路の先は緑地化されている。せせらぎまで再現されているのだが、緑道でも公園とも称していない。入口が両端になく、遊歩道としての機能が無いのだ。(もったいないなぁ)

なんだか、よくわからない場所があった。PARKとあり、立ち入りも制限されていないようなので、入ってみた。会員制の公園?そんなものあるのかな。
近所の人たちがイベントらしいものをやっていたので、話を聞いてみたら、銀行が私有地を公園化して開放したものだそうだ。
注意看板も少なく、園内のメンテナンスも行き届いていて、お金と人を惜しんでいないようすが伝わってくる。しかも、図書館まであった。なんという金持ち父さん。

公園の脇辺りから、本格的な遊歩道が始まる。
この辺の水は清流復活事業とかで、(玉川上水とは別に)多摩川の水を小平辺りからもらってきているらしい。

境橋から、五日市街道、杉並あきる野線と多車線の自動車道と並走してきたが、遊歩道が途切れるとともに、流れは住宅街の傍らに改修され、そして再び地面の下に姿を消す。

水の流れと交代するように、その名も「千川通り」が始まる。千川上水の流路をなぞるように続いていく道。通りに面する公園には水車を象った遊具があった。

つづく(はず)

2025年11月27日木曜日

AIとの付き合いかた

正直なところ、生成AIというものにはあまり期待していなかった。

特に初期のモデルは、自信満々にトンチンカンな回答を返してくるし、できることも限られていた。「これは過渡期の技術で、本命はこの次に来るやつだろう」と冷めた目で見ていたし、今でもそう思っている。特に『BEATLESS』とか読んじゃうとね。

勤めている会社が前向きな姿勢を見せていなければ、やり過ごしていたかもしれない。

ただ、実際に使ってみると、AIが「間違える」というのは、それはそれで面白いという場面にも出くわす。むしろ、AIに対して「いつも通り」とか「絶対に間違えないこと」を要求し始めると、途端に辛くなる。相手は機械なのだから得意なはずなのだが。
なお、よく言及される、ハルシネーション(幻覚)については、私は「それは知能を持つ者が負う宿命なのだ」と主張したい立場である。限られた知識から全体像を想像するのが知能なのだから、そこに間違いが含まれないはずがない。仕事の道具でさえなければなぁ。


趣味の開発のパートナーとして

今は仕事でガリガリとコードを書く職種ではないので、開発と行っても趣味の工作だ。身の回りの小さなツールを作らせるのに重宝している。メールの整理とか、画像ファイルのサイズ縮小とか。

最近は、Google Julesに開発やテストを任せている間に風呂に入る、というのが習慣になりつつある。
Julesは、あの「宇宙人のロボット」というビジュアルがいい。愛嬌を見せつつも、決して人間のフリはしないという、絶妙な距離感。
しかし、いざ仕事で本格的に使えと言われれば、それなりの準備と覚悟が必要なサービスだ。頼んだタスクが迷走して、気がついたら座礁していることも多い。
似てはいるが微妙に異なるものを、サンプル見つつ大量生産しなければならないような仕事には、向いているかもしれない。


一方で、Google AntiGravityには「さすが」と唸らされることが多い。
作業前にタスクリストや実装プランを提示してくれるが、これがJulesよりも具体的だ。作業後には「まとめ」のような文書まで生成してくれる。AIが今何を考えているかもリアルタイムに読める。こちらが追いつかないくらい速いが。ここらへんの透明性の高さは大きなメリットだ。
Geminiの最新のバージョンを使うのでスタミナは低い。作業中に突然「5時間後にまた会いましょう」とか言われる。それでも、しれっと性能の低いバージョンに引き継がれて、事故るよりはマシ……というか、大変ありがたい。

元開発者としては、AIの引き出しの広さに素直に感心する。
たとえば「Undo/Redo」の実装など、自分自身の関心は薄いが機能として必要なものを作るとき、あるいはベストプラクティスや「べからず集」を押さえたいとき。

趣味だから私の採点が甘くなっている点は否めない。仕事で使うと、「自分ができること」を頼むので、「なんでこんなこともできない?」となるのだが、趣味で「頑張ればできそうだけど、そこまでのエネルギーはない」ことを頼むと、あの手この手で目標を達成しようとする様に「えっ、そんな手立てが!?」と驚かされる。


遊び相手、相談相手として

開発以外でも、NotebookLMは重宝している。
単なる要約に留まらず、理解度テストのような派生物を作ってくれるのがいい。登場人物の多い複雑な作品を読むときなどは、「声優別キャラクターリスト」「登場時期別キャラクターリスト」とか作ってもらったり。音声で作品解説してもらったり。

あと、意外と重宝するのが「政治的な話」をする相手としてだ。
人間相手だとどうしても気を使うし、当人の心情も立場もある。その点、AIは「完全に外野で、かつ社会的に無責任な存在」として振る舞ってもらえる(そのように頼めば)。私自身の考えに賛同するでもなく、反対するでもなく、「そりゃ、そうか」と思えるような視点からの意見をくれる(こともある)。

久しくプロの棋戦をテレビで見るだけだった囲碁も「囲碁シル」が変えてくれた。入門者向けのソフトなのだが、単に「やさしい」だけでなく、「どうすれば勝てるのか」を教えてくれるソフトになっていると思う。補助輪がたくさんついている自転車のようなものだ。ステップアップの時期が近づくと、補助輪が邪魔に思えてくる。この辺は、AIというよりソフトをデザインしたスタッフ側の功績なのだろうけど。


AIに望むこと

一つは「闇夜を照らす懐中電灯」であることだ。
もっとも、その役を完全に果たすには、まだ光量もバッテリーも足りないことが多いが。

一つは「長いブラインド・マラソンに付き合ってくれる伴走者」であることだ。
手を引いて引っ張ってほしいわけではない。ただ隣で走り、障害物があるとか、間違ったコースに進もうとしているときに、警告してほしい。

それと、「失敗する役」「負ける役」を引き受けてもらうこと。
たとえば3つの案を出さなければならないのに、自分の中に1つしかアイデアがないとき。あとの2つ、つまり「捨てる」前提の仕事を彼らに任せる。
人間相手には頼みにくい仕事を、文句も言わずに引き受けてくれるのはおまえたちくらいだ。

そして、私が何より望んでいるのは、彼らが「人間にはならない」こと。半歩引いたところから、人間とその社会を見続けてほしい。私が、私たちが間違いをおかさないように。


2025年10月13日月曜日

けせん沼

豆知識:気仙沼市には気仙沼という名の沼はない。


リアス・アーク美術館


謎多き施設。

展望台。中に入るには……。

屋外に展示されている美術作品。雑草が生い茂る。

震災時の写真を集めた一角。

人ならざるものの力によって、涜神的な形状に折り畳まれた自転車。(クトゥルー神話に言ってみた)

瓦礫に、家(の一部)に、家具・電化製品の類。

美術館と銘打たれてはいるが、震災関連の資料と、化石から農具・民具の展示とともに、美術品の展示もやっている、という感じ。
特に民具関連のコレクションが秀逸だったのだが、残念ながら撮影禁止。


千松ダム


岩手県一関まで足を伸ばして、ダムを見に行った。

ダム湖の名前は「せんまつ湖」。放流の勢いを受けとめる副ダムのすぐ下流からは、道沿いに細い流れがある。
ダム関連の施設は青い屋根に尖塔付きという統一感あるデザイン。教会を模したものだという話もあるが如何。

どどどどど……。

天端の欄干に藤の花。現在は一関市の一部となった、藤沢町の花らしい。

道の駅・東松島


心のきれいな者にだけ見える幸せの青い飛行機。ブルー・インパルス。
ブルー・インパルスが見れる道の駅があると聞いてきたが、写真には写らないようだ。

……と思ったら、そもそも飛んでなかったね。一週間に2日、4回というのは訓練飛行として多いのだろうか、少ないのだろうか。

ここの名物なのであろう、松島ブルーソフト。
私は先に、ここのずんだソフトを食べてしまったが、みじん切りにされた豆の感触が感じられるほどの「豆感」あふれる濃さがあった。

気仙沼市でないところの話が多かったな。

2025年10月4日土曜日

気仙沼シャークミュージアム

念願の場所に来た。

気仙沼シャークミュージアム

日本で唯一のサメの博物館。サメの展示を行っている水族館、博物館は方々にあるが、「サメを専門に扱っている」という点で唯一ということなのだろう。

2024年リニューアル、とある。新しい、モダンな展示への期待一方、思い立った数年前の、リニューアル前の展示を見ておきたかったという心残り一方。まぁ、これは贅沢な望みだ。改築・リニューアルの予算が出せずに廃館していく施設もあるのだから。

展示のスタートは漁船。魚種漁法による装備の違いが面白い。サメ以外の魚の船ばかりだったが。

ホホジロザメの模型。なんと歯だけホンモノ。

様々な形、機能を持つ、サメの卵。水族館では生体を見れるけど、たまたま時期が合ったときだけの展示になりがち。同じ物を常設展示できるのは博物館の強み。

沖縄美ら海水族館との連携があるとのことで、「世界のサメ」や「サメの世界」に入り込むための手がかり足がかりが盛りだくさん。名前にふさわしい施設になっている。館内には美ら海水族館の出張展示まである。
(それにしても、リニューアル前はどうだったんだろうな)


氷の水族館

シャークミュージアムと同じく、気仙沼海の市にある水族館。

ホヤの展示がある。ほら、水族館。

マイナス20度の極低温の世界に、氷漬けの魚がいっぱい。水族館だからね。

中は無茶苦茶寒いだろう、と思っていた。実際には、貸与されるコートの断熱性能が抜群なので、極寒という感覚にはならなかった。
身体中にまとわりついていた、夏の暑さがリセットされる。
いやぁ、何時間でも居られるな。携帯ゲーム機でも持ち込みたい場所だ。


心地よい寒さに、テンション上がって、何年かぶりに、自撮りにも挑戦したよ。

久しぶりすぎて、スマホのカメラの方向を切り替えるのを忘れていた。撮り直したのがこちら。
なんか、思っていたのと違う。練習の必要性を感じた。

2025年9月28日日曜日

村田町歴史みらい館

福島駅から東北本線で、宮城県の大河原駅へ。大河原駅から村田町行きのバスに乗る。
村田町にはJR含め鉄道が通っておらず、車のない私自身は自力で行ったことのない土地だ。バスがあって良かった。

「荒町」バス停で降りて、荒町商店街の「蔵の町並み」を歩く。江戸後期から明治大正くらいまでに建てられた蔵が並んでいる地区だ。

建物によっては、いつ頃の建物なのか、掲示がなされていたりする。

妙に細長い土地。正面が狭くて、奥行きが長い土地区画が並ぶのは宿場町によく見られる特徴だ。……村田って、宿場あったっけ?

この謎は、「村田町歴史みらい館」で解ける。村田は宿場町ではないが、ベニバナの集積地で、先の町並みは商家が並んでいたところだったらしい。
店と、その奥にある民家部分の入口である門が互い違いに並ぶ構造。確かに先ほどの空き地も、奥行きが極端に長かった。伊達藩の商家によく見られる特徴とあった。

蔵TORIA Kitchen Yu。「古い街だから、昼飯は蕎麦かな」となんとなく思って来たが、バスの窓から店を見た途端にイタリアンの口になってしまった。
ファミリーから、ご老人、若者のグループ客など、不特定多数の層の客が訪れていて活気があった。

商店街から「歴史みらい館」のある城山公園方面へ。なんぞこれ。

山を登る歩道には、小川を遡る魚の装飾がある。実際にあった小川のイメージを残したものか、単にファッションとして追加したものなのかは不明。

あったあった。

「いつもそばには猫がいた」。南東北の猫信仰、猫供養にまつわるものを集めた企画展だ。
9/21までの開催期間のところ、9/20というギリギリのタイミングで間に合った。


約100匹猫ちゃん大集合。

梵字の組み合わせで描かれた猫の御札。養蚕が盛んだった地域で、夜風(ネズミ)を退ける猫を、守り神として祭るようになったらしい。

猫神社の旗に、猫の足跡。

猫、猫、猫……。

神社の御札から、飼い猫の供養、「忠猫碑」みたいなものまで、いろいろなものを他館や神社、個人などから一挙に集めて展示したこの企画展。とても見応えあった。


「御札・絵馬のレプリカとか、グッズあったら欲しかった、売れただろうに」とも思ったが、こればっかりは普段来る客のお財布事情との相談になるだろうからな~。
(例えば、都内23区の郷土博物館で同レベルの企画展やるなら入場料取っただろうけど、入場料を徴収するスタッフも必要)