2020年11月22日日曜日

どこにもない場所

ひとつの部屋を思い浮かべて!

当面、その部屋がどこにあるかは問題ではない。ただ、他のいかなる場所よりも、その部屋の中に第二ファウンデーションが存在している、そういっておけば充分だろう。


アイザック アシモフ. 第二ファウンデーション 銀河帝国興亡史


「我慢の三連休」と呼ばれることになった、2020年最後の三連休。三密は避けたいけど、外出はしたい。そんな要求を満たす場所があるのだろうか。(我慢してない)

そうだ!「どこにもない」ところに行こう!


かくして、地球上に存在しない場所、Googleマップにすらその所在が書かれていない場所の探索が始まった。

それはかつて我らが大田区を潤していた農業用水、六郷用水の取水口だ。


目的の場所は、多摩川と接する場所にあるはずである。もちろん川崎ではなく東京都側に。

川崎から南武線。登戸駅で小田急に乗り換え。あぁ、藤子・F・不二雄ミュージアムにもそのうち……。


ここで、わざわざ川崎から回っていくのは品川駅や新宿駅の混雑を避けたいがためだ。

和泉多摩川駅から河原の堤防に出る。これは多摩水道橋。ここから上流に遡る。


海まで24kmの標識。大田区ははるか下流だ。遠い。


狛江五本松。由来の説明とか、それらしいものは見当たらず。有名な場所らしいが。


さらに上流に行くと水門があった。六郷……排水樋管とあるので取水口ではない。根川という古い川が多摩川に合流する場所にあたるらしかった。六郷用水の取水口はこれより下流にあったはず。つまり行きすぎたのだ。

今まで通ったところのどこかに取水口はあった。ついに「どこにもない」にたどり着いたぞ!結局、それがどこにあったのか分からなかったけど。


取水口の近くにあったという水神社。今、水の神様にお祈りすることと言えば「ヨゴレがよく落ちますように」だ。手洗い励行。
神社の由緒を記した碑もあったが、反射光の加減で読めない。


近くの公園、やけに水はけの良さそうな広場……の片隅にあった、かつて付近に取水口があったことを示す碑。


さて、目的も果たしたし、大田区に帰ることにする。六郷用水に沿って歩けばたどり着くだろう。

わかりやすく、「六郷さくら通り」と名前がついている道を多摩川の下流方向に歩くのだ。

ほう、「西河原自然公園」。自然という文言が気になった。大規模な自然を擁する感じには見えないが。

小さな水の流れが池にたまる様子を再現していたみたいだが、今は水が入っておらず、むしろ日照りの再現になっている。そういえば、大田区の「梅屋敷」も、庭園風の作りをしつつ水に乏しいんだよなぁ。


一方、隣の「田中橋児童遊園」。この道がかつて六郷用水だったことと、用水に架かった橋の名前がそのまま地名になったことを説明した銘板。


気分が出てきたところに「古民家園」という看板が目に入った。せっかくだから入ってみた。どんなところか知らないけど、市立の施設らしいし、用水沿いにあるわけだし……。

見よ、このいかにもな古民家。縁側とか久しぶりに座ってみた。暑かったから、あまり時間を取らなかったけど。建物は他から移設してきたものらしい。
もらったガイドブックには、間取り図が複数掲載され、時代の変遷とともに改築をうけてきた様子が説明されている。力作だ。
雰囲気だけ楽しみたい人にもいいけど、それだけじゃなくて、文化財としての古民家にも興味がある人には良い資料だろう。私はそれほどでもないんだけど。


しかし、ここに「古民家園」という場所に似つかわしくない、カラフルな屋根付きのボートが!あきらかに近代以降のもので、しかも、説明書きらしきものが見当たらない。船体のバランスが変だと思えば喫水がやけに浅い。プラモのウォーターラインシリーズのようだ。これ、渡し舟なんじゃないか?しかも、わりと最近に作られたものに見える。
園のスタッフらしき方(ボランティア?)に聞いてみたら、やはり渡し船で、最近譲り受けて展示に向けて準備中のものらしかった。実際に渡し船として生活を支えてきたものか、それともその後、レジャー用に転用されて存続したものなのか。気になった。古くからの住人なら覚えている人もいるのだろうか。


さくら通りは狛江駅前に続いている。

そして、かつて用水路だった駅前の道路には、橋の跡。


ここで「六郷さくら通り」は「いちょう通り」と名前を変え、さらに続いていく。

その境目付近には「野川緑地公園」が。しかし、公園と言うほどの広さもなさそうだし、肝心の「野川」は見当たらない。
まぁ、先日の「旧呑川」の件もあるので、他区のことを言えた義理もない。どこか別の場所にあるのだろう。保証はしないが。


そのまま世田谷通りに合流。「新一の橋」「一の橋」「二の橋」と橋の地名が続く。


大田区までの道程の長さを感じ始めたところに、「びっくりドンキー」があったので入る。本日、最高の混み具合。そろそろお昼も過ぎる頃……と思ったが甘かった。入るときから出るときまでずっと混んでいた。ニトリに隣接してるからしょうがない……のか。それだけでもないような気がする。
今まで入った各地の系列店で混んでなかったためしもない。実際、私も「特に理由がなければ、見かけたら入る」がデフォルトだ。店舗数も少なく、滅多に行かない場所にしかないから行く機会が少ない。「行きたいけど、そのためだけにわざわざ外出するほどでもない」という絶妙なバランス。


おっと、なにやら思わせぶりな脇道が。

世田谷区立滝下橋緑道だ。いつの間にか、世田谷区(喜多見)に入っていた。


世田谷区的には、付近の緑地全体を「フィールド・ミュージアム」として売り出したい意向っぽいが、案内板隅に「自由にお取りください」とあったパンフレットは風雨でボロボロだ。圧倒的息切れ感。付近の公共施設なら、きれいなものが手に入るのだろうか。


滝下橋緑道自体も絶賛工事中。なんというタイミングの悪さ。


大田区に着く前に川に行き着いてしまった。地図には「野川」とある。さきほどの銘板に名前だけあった「野川」の現在の姿なのだろう。しかし、六郷用水が大田区に入らずに途絶えてしまうと私が家に帰れなくなる。困った。


滝下橋緑道の端を、野川の向こう岸から見たところ。明らかに緑道からの水を川に流そうという造りだが……。ここが六郷用水の終端なのだとしたら、大田区に流れていたとされる六郷用水は……。まさかの六郷用水ねつ造疑惑。


この地点から、野川の下流に「世田谷区立次大夫堀公園」がある。「次大夫堀」は六郷用水の別名で、公園内には復元された次大夫堀……六郷用水が流れている。繋がった!帰れる!


復元された六郷用水。今流れているのは、さきほどの野川から取水された水とのこと。公園内はわりと大部分が田んぼになっていて、今のようなシーズンオフでなければ実際に水を入れて栽培もしているようだ。


こちらにも古民家が。


火災を知らせる鐘。信号を伝えるための鳴らし方が親切に示されているが……○と○ーをどう打ち分ければいいのか。


「ザリガニを釣りたければ○○へ」という珍しい注意書き。民家(現代の)に囲まれている立地だからなぁ。


公園を出て、さらに六郷用水の下流へ

野川にかかる新井橋。……の近くには、こんな案内が。野川の流れに沿ってこういうのが幾つもあるようだ。


新井橋を渡って、多摩堤通りの奥にある永安寺の近くには六郷用水の碑や案内板。


幅が歩道1:車道2くらいの割合の道路。もともと既に何かがあって、それを前提に整備された、と思わせる。


さらに東に。仙川にかかる水神橋。


用水……ではなく、その再現なんだろうが、仙川から引き込まれたっぽい水路が。丸子川親水公園とあるけど、いかにも人口の川で、しかも蚊がいっぱい。丸子川の正体、それは六郷用水。そこは予習済み(たまに忘れる)。

しかし、肝心の用水路は先ほどの仙川を横断していた(あるいは、そのように見える)っていうことは、仙川も先の野川同様どこか他の場所を流れていたのだろうか。ここは不明。


蚊に辟易してたら岡本公園。岡本太郎と何か関係があるのだろうか。


ここにも古民家園が。そんなにどこにでもあるものなんだろうか。大田区ではあまり聞いたことがない。狛江と世田谷区が古民家大好きなのか、それとも大田区が冷淡なのか。
まぁ、古民家より貝塚の方が古くてカッコイイので大田区の方針に異議はない。
川崎に「古代古民家」ができたり、相模原が「宇宙古民家」とかやりだしたら、この考えも変わるだろう。しかし、両市ともに、今はまだその段階(ステージ)には至っていないようだ。


日が暮れてきた、今日はこのくらいで許してやることにする。最寄りの鉄道駅は二子玉川駅だ。Googleマップにもう一踏ん張りお願いする。

岡本公園から南の方へ。野川にかかる橋を渡る。


地図全体を見ないで、音声案内に従っていたらいつの間にか道を逸れて多摩川の河原に出て来てた。

「野球グラウンドは一般人立ち入り禁止」?なんでだろう。ボールが飛んできて危ないからだ。狙われているのは……私か!這々の体で逃げ出す。なんでこんな場所に。音声案内のタイミングと自分の実際の進路変更がズレていたのだ。

そもそも岡本公園から二子玉川駅に行くのに野川を渡る必要などなかった。気付くのが遅い。


この世の不条理について考えていたら、兵庫まで来てしまった。大田区への道のりは長い。


あの「野川」とやらに行き着いてから、その後の行程がかなりグダグダになった気がする。しかし、それも終わりである。野川は二子玉川駅の真下で多摩川と合流するのだ。しかし、六郷用水は我らが大田区に向かって、さらに東に続く。

いずれ「六郷用水を追って、取材班は多摩ゾン川に飛んだ」とか書くはずだ。一年以上間が開くかもしれないが。