事業仕分けの荒波を越えて、ついに世界一になったスパコン「京」。
京自体は兵庫県に設置されているので、横浜研究所の一般公開では実物を見ることはかなわない。しかし、兵庫のスタッフらしき人が小さな展示コーナーを設けて立ち寄った客の質問に答えていた。
配布されていたパンフやらグッズやらをもらって満足、とするのはまだ早い。隣接する横浜市大ではスパコンの実物が展示されていた。
日本製ではなく、スパコンの老舗クレイ社製。36.2TFLOPSということは京の1/280くらい?
背面ではケーブルが蛇のように絡み合っている。3Dトーラス構造とある。京では確か6次元と言ってたはず。ラヴクラフトの小説に出て来そうな超タコ足配線が想像される。
写真を撮るのは忘れてしまったが、メモリは(少なくとも見た目は)一般に普及しているものと変わらないっぽい。CPUも高級品ではあるが購入可能な品。むしろキモになっているのは上の写真のケーブルに繋がるネットワーク・モジュールとのことで、それはクレイ社謹製だった。
一般公開であちこち歩き回っては研究者の中の人から、携わっている仕事の話やら、研究所の「中」での生活に近いところとか、ちょっとずつ話を聞いてくることができた。その上での感想。
研究者はアスリートに似ているかもしれない。特定の競技に特化するように自分を鍛えていくのだ。
京が世界一をとった時の記者会見で、テレビに映った研究者(偉い人)の笑顔に私が抱いた印象は無邪気さだった。
自分たちは不当な評価を受けたが、こうして結果を出すことができた。見返してやった、と。
実際には(当時の議事録を読んだ時の記憶によれば)、仕分け人は世界一を取ること自体は織り込んでいて、「で、それで?」「でもお高いんでしょう?」と聞いていたのだが、それに対する答えは(少なくとも私が見たニュース映像には)ないままだった。
彼らは、結局、仕分け人なり、彼らによって代表される素人から、自分達がどう見えているかということを問うことをしたのだろうか。
単に世界一を取らせたいだけなら、スポーツ選手に金を出した方がたぶん安上がりだろう。実際、世界一を取ったスポーツ選手が今まで持ち出しでスポーツを続けてきていた、その例を私は最近知った。
開発している現場の人はまさに選手なのだから世界一を目指していい。そうすべきだ。でも、彼らをマネージメントする層と文科省が同じ気持ちで予算請求の場に出て来てはダメだ。彼らの立場なら、選手に世界一を取らせるのはスポーツ振興の手段ないし通過点であって、目的ではないはずだ。
世界一の研究をするには世界一のスパコンがっていうのが無茶、雑な理屈だ。
ある研究を行うのに必要なパワーが膨大になるというのはある。しかし、それはその研究に大変なパワーがいるというだけで、その研究が世界一の研究かどうかとは関係ない。
そもそも何をもって世界一の研究というのか、計算量でそれが測れると主張するつもりだったのか。
(あの場に出て来た人は、ジャンケンで負けたとかの理由で選ばれたのではないかと、当時は本気で疑っていた)
相手が素人であると舐め切っていたのか。見学時の感触が良かったので実質OKと思っていたのか。それとも「世界一」という言葉で相手が恐れいると思っていたのか。
これまでスパコンがどのように研究に役立ってきたのであるとか。スパコンの能力の不足が研究の進捗上でボトルネックになっているのであるとか。研究者の活動を支援していく上で、彼らにどのようにスパコンを使わせようと考えているのであるとか。
小さいスパコンたくさんじゃイヤ、大きなスパコンが欲しいというのであれば、せめて、利用者側への希望調査くらいのことはして欲しかった。
スパコン自体の技術開発が目的なら、開発している技術がこれからどういうブレークスルーをもたらすのか語るべきだった。「今、世界一になる」じゃなくて。(この辺の話はむしろ世界一を取ってから、ちょくちょく出て来た)
あのスパコンの開発費で一体何人の研究者が食っていけるだろう。とある独立行政法人の文系学部の研究者たちが金がなくてロクに本も買えないと嘆いているのを聞いてきた身としては、そういうことも考えてしまう。
それを科学立国なのだから黙って金を出せというのでは、命が大事だから放射能0でなきゃ食べ物と認められないという議論とたいして変わらない。ギークvsスーツ的な対立構図から、私はそろそろ卒業したい。