2023年4月22日土曜日

イセカイカイ

異世界転生、異世界召喚モノ。昨今のコミック、アニメのメインストリームの1つという感じなので、シーズンごとに大量に浴びている。
不遇な境遇の主人公が……とか、理不尽な死に方をした主人公が……とかいうのは正直、あまり好きではない。現実社会での被害を異世界で回復ってのはなぁ。無心に極楽浄土を求めるには、現代社会の私たち主権者は俗世間に責任を負いすぎている。(もっと露骨に、世間への復讐を形にしたかのような作品もあるけど)

…ということを、意識していたのではないのだけど。好きな作品を集めてみたら、こっちの世界でも才能があり、あるいは評価もされている人物が辣腕を振るう系の作品が多かった。


ナイツ・アンド・マジック

天才プログラマーにして、ロボット大好きプラモ大好きな男が、ロボットのある異世界で開発に操縦に戦闘に、好き放題やる話。

この主人公、陽キャという扱いではないのだけれど、挨拶回りや事前根回しのようなサラリーマンしぐさもおろそかにせず、真っ当にこなすので、いったん暴れ始めると逆に手がつけられなくなる…という構図が面白い。

最近は、主人公が偉くなりすぎて、部下たちの後見に回る構図からのスタートが増えたので、そこがフラストレーションになっている読者も多そうだ。主人公ではなく、彼に振り回される人々(国々、諸種族、...)に注目する読み方もあると思うのだけど。

そう。私にとってこの作品は「主人公(エルネスティ)という異物を飲み込んだ異世界が、血を吐いて、のたうち回る」ようすが描かれたものである。



異世界薬局

トップランナーの薬学者が過労死の後、気がついたら異世界の少年に…という話。

研究一辺倒の生活でなく、一人一人の患者さんに向き合いたいという思いがありつつ、最初に掲げた目標が「国の平均寿命を10年延ばす」とか、いきなりマクロな話になっている。(さすがにアニメではオミットされているが)

特筆すべきは、多数の専門家による「査読」がメディア展開の度に繰り返され、いちいち最近の知見が反映されていること。逆に、ここで妥協ができないために「作中世界の科学水準プラスアルファ」の医学でなく、無理矢理、現代医学水準の治療の実現に必要な技術(あるいは魔法)をひねり出す形になっていて、異世界ファンタジーとしてのリアリティラインがすごいことになっている。

作中の人物だけでなく、作者や考証に関わっている人々の熱が伝わってくる(方向性はともかく)。医療の神様の神社に、奉納されるべき作品。



任侠転生 ー異世界のヤクザ姫-

昔気質の任侠道を体現するような、ヤクザのじいさんがお姫様になる話。

お姫様なのは外見と服装だけで、中身も表情も暴力の世界に生きる男のままなので、だいたい腕力で解決していく話になっているし、直面する問題も、基本、暴力で解決可能な問題である。

清々しさを売りに突き進むか、それとも、一捻りが必要な構図になっていくのか。



現実主義勇者の王国再建記

この作品は先に挙げた作品と違い、プロではなく、「歴史に詳しい」くらいの高校生が召喚されて、財政難の王国を建て直す話。同じくらいの時期に放送された『天才王子の赤字国家再生術〜そうだ、売国しよう〜』との対比で面白い。

『現国』は、平時の努力で積み立てた貯金が危機に際して役に立つ感じ。内政パートと戦争パートが交互に来る。
『売国』は、基本がトラブルの連続で、その解決が勢力の拡大に結びつく構図。声望は高まり、信用は増えていき、融資限度額は増えていくけど、根本的にカツカツな収支。

(『売国』自体は転生とか関係ないし、魔法もないのでファンタジーでもない、ヨーロッパ風の異世界が舞台の作品なので、タイトルとしては挙げず)



チ。 -地球の運動について-

しかし、皆、本当に転生したいのだろうか。異世界にワンチャン求めるしかないのだろうか。そんな疑問を思い起こさせる作品がこちら。

地動説をめぐって、人が生きたり死んだりする話。

この世には生きる価値はないのだろうか、幸せは天国に求めるしかないのだろうか。空を見上げ、星々の動きを観察し、発見した「事実」に惑わされる人々。

疲れている時に読むには、ちょっと重い話なので、まだ2巻までしか読めていない。それでも、この作品を読んで考えたところから、この記事が生まれた。

2023年4月2日日曜日

超ふつう

「超(スーパー)普通種展」。
珍しさのない、そこら辺でよく見かける生き物の企画展。
何が見どころなのかわからないこの企画、しかし私にはスルーしがたい期待を煽るものであった。

展示するもの自体にもの珍しさがないなら、切り口で驚かせる算段があるってことだよね。


箱根登山鉄道(入生田駅)で、神奈川県立 生命の星・地球博物館へ。
実は、昨年の秋にも行っていた場所である。面白いものがいっぱいあったけど、twitterに一連の画像ツイートを流したら、それで満足してしまった。「何年かしたら、また来よう」という場所ではあったが、半年持たなかった。(記事中の写真は昨秋撮ったものも含みます)

入館したら、展示を見ずに真っ先にレストランへ。片道2時間の電車行に、市民の義務(公共施設のレストランでビール)も果たし、もうすでにやりきった感が出ている。「達成感の先食い」と言われる、仕事であればヒューマンエラーの原因にもなる事象だ。

さて、「超(スーパー)普通種展」。

駅前の川でもよく見かけるカルガモ(普通)。

今住んでる家の前でもよく見かけるスズメ(普通)。生きている鳥では無理な近さ、アングルで撮影できるのは剥製の魅力の一つだ。

ギンブナ(Carassius sp.)。
Wikipediaに載っているギンブナの学名はCarassius auratus langsdorfiiなのに、ラベルは「フナ属のなかま」。ありふれた淡水魚だが、個体差が激しい、生殖活動が複雑などの要素があり、他種との区別をつけるのが大変な個体があるのだとか。雲行きが怪しくなってきた。

我々が「サザエ」と呼び、普通に食べてきたこの生き物。Turbo sazaeとして、新種登録されたのは2017年だという。名前のない、未知の生き物を我々は日々食べている。

モンシロチョウの標本。普通の人はありふれた普通種の標本をわざわざ集めないので、博物館に寄贈される機会も普通ない。だから普通の種の標本を欲しい研究者は、普通は自分で採りにいくのである。

研究者視点でのカッコ付きの「普通」。普通の種の継続的な調査から、生物界の変化を捉えていく研究。
私たちの普通、それ自体が移ろいゆくものであるという、考えてみればあたりまえのこと。……と安易なまとめを保留して、根拠と数字を集めていく人々がいる。


せっかくだから、常設展も。


紫水晶の裏表。

方解石。デカい鉱物標本がいっぱい。

「ズーラシアから来ました」
「金沢動物園から来ました」
「野毛山動物園から来ました」
動物標本は、横浜市でよく見られる種が多い。

タイリクオオカミ(左)とニホンオオカミ(右)。オオカミっぽさが全然違う。しかも、この館のニホンオオカミは剥製ではなく模造剥製というものみたい。

なんとなくキレイだったから撮った植物のコーナー。

ハクセキレイとシジュウカラ。標本見ても、違いがわかりにくい。図鑑のシジュウカラはもう少しカラフルに描かれている。

常設展の一つの目玉。ジャンボブック。コピーライターなら「まるで自分が小人になったような」とか盛りそうだが、大きく作られているのは本だけなので、そういう錯覚はない。ジャンボなブックがあるだけだ。
展示物とその解説という体裁ではなく、解説の中の図表の一部として標本を扱っている感じ。

博物館は広く、展示物の質も量も充実している。ジャンボブックみたいな仕掛けもあり……という贅沢な環境であることと、神奈川県の西端という立地もあり、展示を見切る前に体力を使い果たしている感じ。次来た時は、ジャンボブックから見て回る、くらいのことをしないと消化しきれないな。


博物館の裏手に、お気に入りのスポットがある。早川だ。棚田式魚道というのを初めて見た。

スマホ用のクリップレンズ(3,000円くらいの)をつけて撮ってみたもの。左が2倍望遠。右が広角。

マクロレンズで小さい花を接写して撮影の練習。風が吹く野外での撮影は難しいなあ。

こちらは博物館の庭のもの。左がレンズなし。右が接写。どちらもピントが合ってないとか、手ブレとか。マクロレンズはもうちょっと緩めのものが欲しくなった。

河原では、さっき標本で見たモンシロチョウの生体が飛んでいた。「モンシロチョウだ」となんとなく思ったが、実はまったく別の、未知の生き物だったかもしれない。 そしてきっと、モンシロチョウ自体にも研究者たちだけに意識されている「謎」が残っているのだ。