2011年10月6日木曜日

禿の死(日本語訳)

SNSの知人の発信として、その第一報を聞いた時に最初に思ったのは「また『毛根細胞死滅』ネタか…」だった。重い病気に罹っていると言われ、実際にやせ衰えた写真をネットで目にしていても、現実に起こりうることとしてその死を意識することも無く、それはいつまで経っても「近い将来ありうること」でしかなかった。


彼の会社は、私にとって蛇のような存在である。蛇は私にこの世の不幸について語った。蛇が不幸をもたらしたわけではない。人々―その中の一人である私も含めて―が、とても不幸な境遇にあるのだと指摘したのだ。

蛇はその不幸の名前が「使いにくいコンピュータ・システム」であること、その不幸が知恵によって対処可能であることを教えてくれた。

「なぜ、その不幸に平然と耐えていられるのか」

そう問われるまでもなく、私はその蛇の後に続いて歩いた。生まれ育った場所に未練が無かったこともある。蛇の勧める石を足場に、時には2つ3つ石を飛ばしながら川を渡った。それには困難が伴った。

蛇が指し示した石のいくつかは周りから孤立し、事実上、行き止まりになっていた。

また、川に橋を架けるため、蛇は資材を向こう岸に運ぶための人夫と筏を募ることもあった。自分が応じなくても、結局橋は完成するかもしれない。だが、作業の進みが遅ければ未完成の橋もろとも大水に押し流されてしまうこともありえた。私は迷うことなく応じた。危機感はあったが、それが理由ではない。私自身が一刻も早く完成した橋を渡りたかったのだ。


彼自身は去ってしまったが、彼の蛇―彼の会社は今、彼自身が育てたスタッフのもとにある。蛇の言葉は今までのようには私を魅了しなくなるかもしれない。が、蛇の指し示す方向に希望―幸福ではない―があることは今までと変わりないだろうし、それが私が蛇に求めてきたものだったと今はわかっているからだ。

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