2011年10月12日水曜日

理研・一般公開2011(その2)

続き。


講演とか時間が決まっているところは避けようと思っていたんだけど、たまたま入った部屋で行われていたセミナーがなかなか熱かったので聞き入ってしまった。

国立国際医療研究センター、(理研の組織だと新興・再興感染癒研究ネットワーク推進センター)による、感染症、とくに結核の現状に関するお話。


新興国を中心に広がりつつある結核。単に医療技術の水準が低いのかと思っていた。けど、そんなことじゃなくて、急激な都市化による人口集中とそれに伴う衛生の悪化が背景にあるという話。かつ、その衛生が悪い環境に晒されるのは当然金のない人…ということになる。

彼らは入院、長期通院するだけの経済的な支えを持たないので、病院に行かずに「結核の薬」を薬局で買って済ませようとするか、あるいは通院しても長続きせず、症状が軽くなると勝手に治療を打ち切ってしまう。で、もっと酷い時には薬を売って金に換えてしまう。

金のないのはどうしようもない、しょうがないのかなぁ、で済む話ではなくて。医師の診断なしに中途半端な治療をした、あるいは治療を中断した彼らの中で、まさに今話題の多剤耐性菌が生まれているのだという。生物進化sugeeeeee!な話じゃ全然なくて、貧困という社会問題の副産物だったのだ。今知った。


ヒューマニズム云々とかを持ち出すまでもなく、問題は既に「貧乏人は死んどけ。自己責任」とか言って済むものでは無くなっていて。治療コストを押し上げる多剤耐性菌(あるいは、もはや治療の手段がないチョー多剤耐性菌)から我々自身の、少なくとも仕事の都合で海外に進出する在外邦人の命を守るために、自腹を切ってでもホットな地域に出張らざるを得なくなっている、という状況。

そしてもちろん、研究という側面から見れば、必要なサンプルは日本ではなく向こうにあって、それを直接扱いたいという要求がある。


では、新興国(セミナーで紹介された事例はベトナム)に行って、日本自慢の医療技術で患者をたちまち治していくのかと思えば…そんな場面は全くなく、むしろ淡々と患者と症例をデータベース化して研究と治療の足がかりを作っていくという地味な作業が実際の仕事として紹介されていた。

患者の管理という仕事の泥臭さと重要性は日本におけるその比でなく、患者が服薬をサボったり、薬を売ってしまわないよう、いちいち医師や看護師が患者が服薬するのを直接見届け、いちいち記録を取っていた。薬の数をごまかされないよう、全ての成分を1錠に集めたものが与えられ、それが大きすぎてひどく飲みにくいという、ギャグのようなしかし切迫した話。


事情を知らなかったので、対岸の火事のように思っていたけど、実は連環の計で繋がれた他の船が今燃えているんだよ、逃げ場はないよ、そんな話として聞いてきた。

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