俺を楽しませるためにがんばれよフクシマ。おそらくは、その3。
惜しい。事故から既に2年が経っている。ここで今さら「とりあえずの解答集」とか出されても困ってしまう。そもそも本書は解答を示してもいない。既存の解答に対する疑問・不満を提示している、というところだ。
この本で描かれているのは、ある日突然に生活者としての戦いを余儀なくされた研究者達の心の声である。彼らの戸惑いとか苛立ちとか憤怒とか恨み節とかが綴られている。
専門外の自分たちには、それどころか専門の研究者にとってさえも「それはまだ分からない」以外の結論がありえない脅威、低線量被曝に対してどう向き合うか。考えあぐねているうちに大学当局は勝手に安全宣言を出してしまった。え?それってアリなの?研究者としてどうよ。
全体の構成とかはなく、12人の著者がそれぞれの問題意識をもとに独自に議論を展開している。紙面の都合で論述が省かれたところも散見される。対象読者は日本語が読める人すべて。(想定した読み手に訴えるより、まずは自分たちの思いを吐露したい、という意識で書かれているように思えた)
とにかく色々と惜しい。研究者にとって拙速や見切り発車が罪であるならば、そう主張する者の本は時間をかけて練り上げられたものであることが望ましいはずだ。逆に今を切り出すリアルタイム性を求めるならば、むしろ紙の本という体裁を選択しなかった方がよかったのではないか。タイミング大事。
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