2006年8月25日金曜日
対デモニカ
ベルアイルをプレイしていて、普段あまり意識することは無いのだが、一応、「デモニカ」というオフィシャルな敵がいる。
このデモニカ、たまにフィールド、場合によっては人里近くまで降りてきて悪さをするので、村の皆総出で狩りをすることになる。(「狩られながらも何とか押し戻す」と言うほうが正確か)
継承後の子供のキャラもそこそこ育ってきたので、この「対デモニカ戦」に初めて加わってみた。とは言っても、遠巻きにして矢を射掛けるだけといったチキンぶりである。(画像)
相手の攻撃を受け止めることは全く想定していなかったのだが、私の小ざかしい戦いぶりが癪に障ったのか、不本意にも時折反撃を受けることになった。
その結果、防御魔法や回復手段無しでも2発は敵の攻撃を耐えられることが分かった。1発で逝ってしまうPCも少なくないので、私のキャラは比較的恵まれた体格の持ち主ということになる。
次回は壁役になって戦線を支える方向で挑んでみたい。
ps.リアル都合で私自身は参加しないが、ユーザー主導イベントが企画されているので紹介しておく。
定期バザー・イベント 「大樹祭」
8/26 22:00 カルガレオン神殿街にて
相場より安価に、あるいは普段は取引しないような珍品を、という心意気で、生産者有志が集うイベントなので、お暇なら見物に行ってあげて欲しい。
2006年8月22日火曜日
劇場版ボウケンジャー&カブト
ビール片手にキッズ映画鑑賞。
・轟轟戦隊ボウケンジャー「最強のプレシャス」
レッドとその父親との再会を主軸に据えた明快な作品。
TV放送は早々に切ってしまっているのだが、劇場で改めて見てみるとなかなか楽しいギミックが多い。TVの方も復活しようかなぁ。
・仮面ライダーカブト「GOD SPEED LOVE」
TV放送とは異なるパラレルワールドでのお話。
秘密組織ZECTが支配するディストピア的世界の中で、TV本編とはちょっと性格の異なるライダーたちが…分かりにくい。
やや大人向けというか、シリアスな展開だが、大人にとっては少々物足りなく、子供にとっては退屈で間が持たない、虻蜂な作品になってしまっていると思う。
以下は映画の評価とは別の、個人的なポイント:
・ゲストのライダーの役者はなかなか面白かった。大和鉄騎(仮面ライダー・ケタロス)役の虎牙光揮…って「富豪刑事」の運転手さんか。
・最強のライダー、仮面ライダー・コーカサス(武蔵)の衣装は劇団新感線のデザイナー(&元役者)である、竹田団吾の手によるもの。
なのに、じっくり観れるチャンスが少ないのがかなーり残念であった。
ps.田所役の山口さんって、私と…。
(自分の顔に責任持たなきゃならない年齢まであとx年)
・轟轟戦隊ボウケンジャー「最強のプレシャス」
レッドとその父親との再会を主軸に据えた明快な作品。
TV放送は早々に切ってしまっているのだが、劇場で改めて見てみるとなかなか楽しいギミックが多い。TVの方も復活しようかなぁ。
・仮面ライダーカブト「GOD SPEED LOVE」
TV放送とは異なるパラレルワールドでのお話。
秘密組織ZECTが支配するディストピア的世界の中で、TV本編とはちょっと性格の異なるライダーたちが…分かりにくい。
やや大人向けというか、シリアスな展開だが、大人にとっては少々物足りなく、子供にとっては退屈で間が持たない、虻蜂な作品になってしまっていると思う。
以下は映画の評価とは別の、個人的なポイント:
・ゲストのライダーの役者はなかなか面白かった。大和鉄騎(仮面ライダー・ケタロス)役の虎牙光揮…って「富豪刑事」の運転手さんか。
・最強のライダー、仮面ライダー・コーカサス(武蔵)の衣装は劇団新感線のデザイナー(&元役者)である、竹田団吾の手によるもの。
なのに、じっくり観れるチャンスが少ないのがかなーり残念であった。
ps.田所役の山口さんって、私と…。
(自分の顔に責任持たなきゃならない年齢まであとx年)
2006年8月21日月曜日
ゲド戦記
(以下、ネタバレ注意)
昔好きだった原作をジブリが映画化する、というので製作発表当初は大いに期待していた。映画化の内容を聞いたり、あるいはCMで実際の映像を垣間見れるようになって、その期待も雲散したが。
結局、原作に対する義理立て、という理由で観るだけは観ようということにした。映画を観るにあたり、原作を読み返すこともしていない。劇場で暴れだすかもしれないからだ。
「深夜のTVでやってる萌えアニメのうち、凡庸なものを一つ選んでジブリに製作させてみたら、こんな内容になるかもしれない」
映画を観終えて、まず最初に思いついたのがこれだった。
アニメの映像としては全然悪くない。反面、新鮮さを感じることも、既知の技術の組み合わせの妙を感じることも無かった。過去の作品のカッコいい、あるいは美しいシーンをピックアップして作ったかのようだ。
役者については、決して上手な人ばかり、というわけではないが、あえて欠点として挙げるほどひどくも無いと思った。まぁ、私は上手な役者は評価するけど、下手な役者が気に触るということもない、便利な観客なので。
観ていて「こりゃヒドい」と思ったのはストーリーというか、キャラクター表現の貧弱さとか、心の動きの説明不足だ。
例えば、登場人物同士が絆を深めていく過程がよく分からない。アレンとテルーはどうやって真の名を交し合うほど急速に信頼を深めることが出来たのだろう。
(この世界「アースシー」では真の名を教えることは即ち相手に命を預けることを意味する)
アレンがテルーの歌を聴いて「お、ちょっとかわいいかも」と思ったとしたら、それは分からないでもないのだけど、その逆、テルーがアレンに打ち解ける理由が想像できなかった。まさか、ジャイアンみたいに「歌を聴いてくれる人=心の友」という図式があるわけでもあるまい。
むしろ、私自身が何か重要なシーンを見落としている可能性が高い。そうでなければスタッフが重要なシーンを描き忘れているのか、だ。いっそ「テルーはツンデレ」で説明の代替とするか。(最初に思いついた形容が前述「萌えアニメ」であったのは、この辺りの描写に感じた不自然さに由来すると思う)
もちろん、ここに非モテ系の僻み妬み、あるいは無知が含まれていないとは言わない。この謎が解けることで多少なりとも女性の気持ちが分かるのだ…という話でもあれば、ぜひもう一度劇場に足を運びたい。
アレンが冒頭で罪を犯したり、その後贖罪の旅に…という件も、ひどく軽い、というか、まるでどうでもいい事柄であるかのように扱われているような気がした。
ゲドとクモの対立点も特にストーリーの本筋に絡んでいるのか良く分からないうちに終わってしまった。
冒頭で『エアの創造』を引用する一方で、この映画、人間の二面性とか、その間の葛藤とかをきちんと描こうとしていないような気がする。
気がする、というのは「作り手の側にその意思が無かった」と断言するところまで至らないからだ。作り手は(私には伝わりがたい何らかの形で)それを描いていたのかもしれない。
結局、映画の中で何が描かれ、あるいは何が描かれていなかったかが良く分からなかった、というのが私の感想だ。
昔好きだった原作をジブリが映画化する、というので製作発表当初は大いに期待していた。映画化の内容を聞いたり、あるいはCMで実際の映像を垣間見れるようになって、その期待も雲散したが。
結局、原作に対する義理立て、という理由で観るだけは観ようということにした。映画を観るにあたり、原作を読み返すこともしていない。劇場で暴れだすかもしれないからだ。
「深夜のTVでやってる萌えアニメのうち、凡庸なものを一つ選んでジブリに製作させてみたら、こんな内容になるかもしれない」
映画を観終えて、まず最初に思いついたのがこれだった。
アニメの映像としては全然悪くない。反面、新鮮さを感じることも、既知の技術の組み合わせの妙を感じることも無かった。過去の作品のカッコいい、あるいは美しいシーンをピックアップして作ったかのようだ。
役者については、決して上手な人ばかり、というわけではないが、あえて欠点として挙げるほどひどくも無いと思った。まぁ、私は上手な役者は評価するけど、下手な役者が気に触るということもない、便利な観客なので。
観ていて「こりゃヒドい」と思ったのはストーリーというか、キャラクター表現の貧弱さとか、心の動きの説明不足だ。
例えば、登場人物同士が絆を深めていく過程がよく分からない。アレンとテルーはどうやって真の名を交し合うほど急速に信頼を深めることが出来たのだろう。
(この世界「アースシー」では真の名を教えることは即ち相手に命を預けることを意味する)
アレンがテルーの歌を聴いて「お、ちょっとかわいいかも」と思ったとしたら、それは分からないでもないのだけど、その逆、テルーがアレンに打ち解ける理由が想像できなかった。まさか、ジャイアンみたいに「歌を聴いてくれる人=心の友」という図式があるわけでもあるまい。
むしろ、私自身が何か重要なシーンを見落としている可能性が高い。そうでなければスタッフが重要なシーンを描き忘れているのか、だ。いっそ「テルーはツンデレ」で説明の代替とするか。(最初に思いついた形容が前述「萌えアニメ」であったのは、この辺りの描写に感じた不自然さに由来すると思う)
もちろん、ここに非モテ系の僻み妬み、あるいは無知が含まれていないとは言わない。この謎が解けることで多少なりとも女性の気持ちが分かるのだ…という話でもあれば、ぜひもう一度劇場に足を運びたい。
アレンが冒頭で罪を犯したり、その後贖罪の旅に…という件も、ひどく軽い、というか、まるでどうでもいい事柄であるかのように扱われているような気がした。
ゲドとクモの対立点も特にストーリーの本筋に絡んでいるのか良く分からないうちに終わってしまった。
冒頭で『エアの創造』を引用する一方で、この映画、人間の二面性とか、その間の葛藤とかをきちんと描こうとしていないような気がする。
気がする、というのは「作り手の側にその意思が無かった」と断言するところまで至らないからだ。作り手は(私には伝わりがたい何らかの形で)それを描いていたのかもしれない。
結局、映画の中で何が描かれ、あるいは何が描かれていなかったかが良く分からなかった、というのが私の感想だ。
2006年8月13日日曜日
帰省
帰省している。
実家に帰って夕食を食べた後、中学校自体につるんで遊んでいた友人たちと一緒に、バーにウイスキーを飲ませてもらいに行く。
飲ませてもらいに…という書き方になるのはウイスキーを好んで飲むものの、酒の銘柄に特に詳しいわけでもなく、「何かうまいウイスキーを…」とマスターに丸投げしているからである。
マスターの方も、こちらの財布の中身を既に見透かしており、いい感じのウイスキーをいい感じの値段で飲ませてくれ、時折、ウイスキーや他の酒に関する薀蓄を披露してくれる。
今回は、マスターお勧めの日本酒と、同じくマスターお勧めの他の店(!)を教えてもらった。
後者は、私の心の故郷(こちらにも年2度ほど『帰省』している)にあるので、ぜひ知人を誘って挑戦しに行こうと思う。
実家に帰って夕食を食べた後、中学校自体につるんで遊んでいた友人たちと一緒に、バーにウイスキーを飲ませてもらいに行く。
飲ませてもらいに…という書き方になるのはウイスキーを好んで飲むものの、酒の銘柄に特に詳しいわけでもなく、「何かうまいウイスキーを…」とマスターに丸投げしているからである。
マスターの方も、こちらの財布の中身を既に見透かしており、いい感じのウイスキーをいい感じの値段で飲ませてくれ、時折、ウイスキーや他の酒に関する薀蓄を披露してくれる。
今回は、マスターお勧めの日本酒と、同じくマスターお勧めの他の店(!)を教えてもらった。
後者は、私の心の故郷(こちらにも年2度ほど『帰省』している)にあるので、ぜひ知人を誘って挑戦しに行こうと思う。
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