母がまだ世田谷に住んでいた幼少の頃、近くを流れていた蛇崩川(じゃくずれがわ)の源流を歩いて探しに行ったという話を聞きつけた。途中で断念したらしいが。
蛇崩川!そんな厨二病っぽい地名が実在するのか!
その時私の脳裏に浮かんだイメージ(Google検索)
しかし、世間一般的に「蛇崩」と言えばこちら
母方の祖母の生家の近くなのだから知っていても良さそうなものだが、自分自身の幼少の頃、「東京」と言えばプラネタリウムがある渋谷であり、水族館がある池袋であり、科学館がある上野。田舎に住んでいる子供が東京の川などに興味を持つはずもなく。
かくして「(今は宮城に住んでいる)母親の代わりに、その実家に帰省」の開始。新型コロナがなかった昔の日本へタイムトラベルだ。
近隣には、先日訪れた等々力渓谷を流れる谷沢川の上流がある。ちょっと歩くことになるが見に行くべきか。
迷っている間に見つけてしまった。首都高3号の下を、蓋をされずにそのまま流れているのだ。一方、用賀駅からさらに上流のほうには蓋がされている。
左の壁(北)が馬事公苑。オリンピックに向けて工事中。正面の信号を超えて奥の方(東)に流れていたらしい。信号のある交差点、南北方向は昔、品川用水が流れていたらしい。写真に撮ってみたらやたら遠くに映ってしまい、とても分かりにくいが。
進んだ先の大山道児童公園には、大山道を行く人のイメージ像。そして別の傍らには「蛇崩川 洗い場跡」の碑。わざわざ探しに来ないと、目にもとまらないだろうなぁ。当時の人にとっても、自分が洗い物をする場所に碑が立つとか、意味不明だろうし。
場所としては、世田谷区教育会館の裏手に当たる。会館はプラネタリウムを擁するわりと大規模なもの。傍らには水遊び用の人工池がある。
写真にある「中原橋」の近所に実家…さっき行ってきたばかり…があるので知っている風景ばかりです(笑)。
返信削除お久しぶりです&あけましておめでとうございます>ダンナハメさん
返信削除ご近所だったようですね。母が子供だった頃はまだ蓋がされておらず、実際に川の流れがあったようです。実家があった場所の近辺も何枚か撮ったのですが、私自身の記憶にもないような現代&高層建築が増えていて、「もう当時の面影無いね~」という結論になってしまいました。