その昔、東京の南側に「エバラ」という帝国があり、現在の品川、目黒、大田の3区を中心に、北は白金、高輪(港区)、西は弦巻(世田谷区)、南は多摩川を越えて川崎にまで及ぶ広大な版図を誇っていたという。
エバラ帝国の臣民は、日々のささやかなお祝いに焼肉を食することとしており、彼らの使っていた美味な調味料は「黄金の味」と呼ばれた。(その味と名は、現在横浜にある食品会社に伝わったとされる)
過去の偉大な帝国を偲んで焼肉を……食いたかったが、アルコール抜きの焼肉を想像するとなんとも味気なく、また、家での焼肉は後片付けが面倒なため、そちらは断念。彼らが信仰していた7柱の神々を巡る3時間ほどの旅に出た。
過去のこの投稿の伏線回収だ。
通ってきた緑道は「立会道路」の一部だ。次の神社に向かうにも立会道路を通るが、この道路、いい感じに蛇行する。
名前がついた道路の割に、1車線しかない。名前も名前だし「立会川」の上流とかなんだろうか。ただ、京急立会川駅の傍を流れる立会川とは、南北方向のズレがかなりの距離(京急線で1駅分)あるので、その空隙がどう埋まるのかは今後の調査……と思っていたところ。
帰宅後に、先の2匹の猫の写真をよくみたら「立会川に蓋をした」とズバリかいてあった。
帰宅後に、先の2匹の猫の写真をよくみたら「立会川に蓋をした」とズバリかいてあった。
今回の寺社を巡るこのルート、この後も立会道路やその1本隣の「三間通り」を進んでいくので、昔はこの立会川沿いに人が多く住んでいたのかもしれない。
蛇窪神社(弁財天)。白蛇を祭っている神社。ここだけ、なぜか参拝客が多かった。しかも客層が若い。絵馬を見たら、特定の役者さんを応援するものが多かった。文字通りの聖地巡礼だったらしい。(正確には、祭っているのは「白蛇を」じゃなくて「白蛇も」であるようだけど……キャラ立ちって大事)
蛇窪神社から、さらに西に進むと東急荏原町駅があって、ここがかつての帝都なのだろうかとも思えたが、帝都の場所については、いまだ定説や発掘資料等は無いようだ。
荏原町駅の踏切を渡るとすぐそこに、法連寺(恵比須)。
入り口からちょっと入ったところに。恵比須様。
賽銭箱等もなかったので、ご挨拶程度で帰ってきてしまったけど。在原七福神会の事務局として(キャラもの含め)各種グッズを「頒布」しているのはこのお寺だったみたい。「お布施」してくるべきだったかなぁ。
小山八幡神社の境内の立て看には、この1年で感染症対策のシンボルとして、すっかり定着してしまったアマビエ様。
神社に妖怪が入り込むというシチュエーションにしては手口がカジュアルすぎる気がしないでもない。
神社に妖怪が入り込むというシチュエーションにしては手口がカジュアルすぎる気がしないでもない。
「妖怪は、古い神様が貶められた姿」という話も聞く。もしかしたら私たちは「かつての神様が復権する姿」とか「もともと妖怪だったものが、時流に乗って神様になるところ」を見ている(というか、むしろ積極的に関与している)のかもしれない。
荏原七福神(しながわ観光協会) https://shinagawa-kanko.or.jp/recommended_route/ebarashichifukujin/
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