2021年2月17日水曜日

『寺{テラ}へ……』(行かなかった話)

六郷用水に沿って、上流の狛江市から下流の大田区へと歩いて帰る途中で、予定がかみ合わずに後回しにしていたスポットに再チャレンジ、ついでに一番大きな分岐のもう片方にも。


昭和のくらし博物館

多摩川駅~蒲田間を歩いた前回。平日だったので、休日にしか開いてないスポットは断念!となった、この場所に再挑戦。最寄り駅は東急池上線の久が原か、東急多摩川線の下丸子駅。久が原駅を選んだ。坂道を登らずに済みそうだからだ。

久が原駅でみかけた七福神(!)のポスター。
そろそろ七福神巡りとかにも挑戦してみたい。羽田七福神、多摩川七福神、当ポスターの荏原七福神など、近場にも複数ある。


前回、多摩川駅~鵜の木~千鳥町駅と歩いたとき、地図を見ながら「博物館に行こうと思ったら、この坂道登らないとだなぁ」と考えていたが、久が原がそのまさに「坂の上」にあるので、道程は平坦だ。駅前からの通りをまっすぐ歩くと、こんな感じの入口がある。


見よ、これが昭和だ!

残念ながら、館内は撮影不可とのことなので、外周だけ。
ビジュアル的には、自分の祖母の住んでいた家に近いかなぁ。終戦直後の復興の始まり、住宅金融公庫の融資を受けて建てられたものらしい。

設計者は核家族のお父さん。いかにも、典型的な……と言いたくなるような昭和の住宅ながら、随所に「自分たちの手で、少しでも生活を豊かにしよう」との意欲にあふれた工夫が随所にある。
このお父さん、建築技師であったとのことで、玄関から入ってすぐの書斎には製図用品が整然と並んでいる。融資の条件を満たすための狭い容積(4畳半×2部屋×2階)を少しでも広く使うため、安い材料をみすぼらしくならないように、との仕掛けの数々には感心させられる。このお父さん(小泉孝氏)の「作品」として家だけ見てても十二分に面白い。

とはいえ、「博物館」なので、各部屋には色々なテーマでの展示がある。常設展示は、昭和20年代頃の生活用品の数々、子供のオモチャ(手作りのもの、雑誌の付録など……)。台所やトイレさえもれっきとした展示室なので見ておきたい。

映画などの製作にも、取材・協力をおこなっているらしい。例えば、私がまだ観ていなかった、この映画。


…というわけで、ミュージアムショップ内に特設展示がある。そう、この小さい博物館にもミュージアムショップがあるのだ!『この世界の片隅に』グッズ、パンフ・書籍、さらには有志(ご近所さん)が持ち寄った令和の生活用品の数々……。

私自身の事前の期待は昭和40年くらいだったので、そこからは1世代外した感じだったけど。数々の「昭和ガジェット」を見ながら、当時の暮らしの不便さなり、楽しさなりを想像するのは面白かった。あえて、今の世で近しいものを探せば、農地開拓ゲーム序盤のワクワク感に近いものがあったろう。
種をまいて収穫するサイクルを徐々に改善していく。仕掛けを作ってそれがハマったら嬉しい。それはプログラミングの根幹でもあると思う。

日曜の午前中。一組訪れたら、それまで観覧中だった一組がちょうど見終わって帰るところ。絶えず重ならず。そんな感じの人入りだった。


六郷用水・北堀

博物館を出て南下し、千鳥町駅付近に出る。

見覚えのある解説。南北引き分け跡。前回は南堀、蒲田方面に向かった。


今日向かうのは北側の大森方面。

前回言ったのは右方向。今日は左側に向かう。


前回見かけなかったタイプの解説版。書かれているのは、この場所の説明じゃなくて、次太夫の生涯の解説だ。


車道から一段低めの歩道が続いている。いかにも「昔、ここに水が流れていました」風だ。実際、雨水ますも多めに設置されており、地面の下の下水道の存在を感じさせる。1車線だけの車道と、車道より広いくらいの歩道という構成もそれっぽい。


千鳥いこい公園。ここにも「六道用水の跡」が。とりあえず、道を違えてはいないことだけはわかった。


警視庁・池上警察署。南側に水路跡が続いていく。職質されませんように。ボクは怪しいけど、犯罪者じゃないよ。


途中で見つけたもの。墓石かと思ったら、そうではないようだ。「○頭観世音大菩薩」「御嶽神」。(帰宅後に調べてみたら近所に馬頭観音堂があり、その入口を示すものだったみたい)

これと似たようなもの、「南無妙法蓮華経」と書かれた石柱みたいなものもちょくちょく見かけ、池上本門寺に近づいてきたのだと予感させる。


下水道に雨水を落とす、穴あきのブロックにも梅の花が。池上は梅の名所だ。


池上本門寺の正面に来たが……人通りが絶えない。今の自分の感覚だと、この位でもう「人間だらけ」。人間は避けたいのでUターンだ。もっと人がいないときに来よう。影時間とか、マヨナカとか。


久々に見かける場所の説明板「堤方の八寸」。「水流方向に直角に八寸角の角材」こういうの、ビジュアルや模型で見たいんだが……。まさに、そういう展示をやっていた大田区立郷土博物館は設備更新・展示替えのための絶賛休館中だ。しかし、再開館の折には、きっとグレードアップした展示が見れるはず!

ところで、ここも分岐(北・東・南)なのだ。しかし、さほど遠くまで行かない程度に東側の終端っぽい場所がある。東→北の順に回ってみる。


歩道を東に直進すると、ほどなく呑川に突き当たる。ここで合流していたのだ。(……と言いつつ、肝心の呑川を写した写真がないな)


次は北進・右折の後、呑川を超えるルート。川を水路が横断すると言うことは、水道橋みたいなものがあったのだろうか。実際の水路があったルートとは違ってしまったが、浄国橋から呑川を渡る。渡ったところに案内板。

旧池上通り(旧平間街道)……もう道の名前を識別するだけで大変!……の1本南の通りが六郷用水が流れていた場所らしいので、そのまま進む。


なんか、ものものしい構えの子母沢児童公園(写真は旧池上通り側から)。実際にはあまり利用していないが、大田区は小規模の公園にもトイレを設けていて、歩き廻る者には安心感がある。


さらに東に。赤十字病院の南側を抜けていった、新井宿児童公園には大きな案内板。いよいよ大森だ。


環七通り。通りの向こう側に山王三丁目商店街のアーケードが見える。商店街をそのまま北進すれば、激安の殿堂を経て、JR大森駅だ。でも、私が用があるのはその右側の裏通り。


ほら狭い。


神様のお引っ越し。大田区は小さな神社がそこら中にあるが、さすがにケアとメンテナンスの手と費用が足りないのだろう。比較的大きい神社へ管理の統合が進んでいる。引っ越しに及んだケースを見たのは初めてだけど。


「六郷用水物語」を追っていたつもりが、いつの間にか「桜のプロムナード」なるものに差し替わっている。しかし案内板には「六郷用水」の文言がチラリ。流行り廃りとか、せめぎ合いとか地域史を感じさせる微妙な感じがある。


広い歩道。そして等間隔に飢えられた桜。これは、用水沿いに植えられた桜が、その後に由来を消失し、独立した名所として推されたというものだろうか。


関係ないけど、なんかイイ感じ店構えのスーパーがあった。これで中に人間さえいなければ立ち寄るのだが。


「桜のプロムナード」の歩道が続く。


……あれ?途切れてる?と思ったら90度方向転換して南へ続いていた。千鳥町の南北引き分けから北東に進んできたのが一転という感じ。


さっき渡った環七を今度は逆方向に渡ることになった。「桜のプロムナード」(六郷用水も……)は道路の向こう側に続く。

……。写真の端っこに何か写りこんだ。と振り返ったら橋の跡。ということは、ここも川か?


環七の向こう側に神社があると思ったら、何年か前に初詣した、大森浅間神社だった。素通りするのも憚られたのでお参り。「私の大好きな園館が栄えますように」

梅の花?(今咲いてるとすれば梅だろうと雑に推測)の、根本の石がイイ感じの桃色だったのでパチリ。女神を祭ってる神社らしい計らい……と思ったのだけど、女性がピンク好きだと勝手に断じるのは今風ではないし、そのような計らいがあったのかも自明ではないな。私がこれを一目見てイイ感じだと思った、それだけが本当だ。


浅間神社から元の道に戻り、さらに南進。内川に突き当たる。水質浄化施設No.2(!)が近くにある。泡がブクブク言ってたり、噴水みたいな仕掛けでもあるか、と思ったが、そんなことはなかった。(故に写真もない)


四の橋を渡って内川を超え、大森学園高校の東側を通って、大森町駅の駅前商店街まで一本というところ。ここまでが六郷用水の水路だったみたい。

先ほど越えてきた内川は、いかにも人工的に整理された、直線的な流れだった。もしかしたら昔の、もっとうねっていた内川に、このあたりで合流していたのかもしれない(……し、そうでないかもしれない)。


終点は、誰もが気にかけずに通り過ぎるような、小さな交差点。尻切れトンボみたいな道行きだったが、ここでお終い。
大分、家にも近づいたし、近くのスーパーに寄って帰るか……(結局、そこが本日一番の密だった)。

0 件のコメント:

コメントを投稿