2021年2月25日木曜日

羽田道(はねだみち)

ガルパン界隈の皆は、戦車道(せんしゃどう)と戦車道(せんしゃみち)をどういう基準で使い分けているのだろう。

今回、参考にしたムック本での呼び名が、羽田道(みち)だったのでそれを受け入れることにした。


六郷用水まわりも、自分の中で一段落したので、次なる散歩コースへと繰り出すことにした。大田区の中で今まであまり歩いていない、南東方面。東海道から枝別れする感じで、大森から羽田へ伸びる道があり、物流に参詣にと使われていたのだという。羽田道だ。


自宅最寄り駅の京急の梅屋敷駅から1つ北。大森町駅方向に歩く。この辺りの高架下は店にオフィスにと絶賛売り出し中の場所だ。

コメダ珈琲店の出店も予定されている。うむ、よろしい。許可する。

大森町駅から、第一京浜に出て、大森警察署からさらに北上。ミハラ通りという商店街に入る。このミハラ通りは旧東海道の一部だ。
早くも旧羽田道の名が。ちょっと気が早い。

ミハラ通りの内川にかかる橋。ここから枝分かれする「するがや通り」が羽田道だ。左側、「ここから20km/h」の矢印の標識の示す方。うっ、狭い。

狭い商店街を進んでいくと、「するがや通り / 旧羽田道」の道標が。右側が旧羽田道。六郷用水には旧河川なり、暗渠なりの独特の「しっとり感」があったが、羽田道は人がたくさん通った道ということでしかないので、サインに乏しい。地図が頼り。

道標の傍らには、「大森」「大筒」「大砲」とか物騒な単語が書かれた表札が。昔は演習場だったのだろうか。

先ほども書いたが、川の流れとかではないので、昔の水路が再現されていたりも当然無く、住宅街を通る細い道が続くだけだ。写真を撮るポイントは限られてくる。

お寺に併設された幼稚園の看板。日本人でない……というか、北方系古モンゴロイド?(政治的にはともかく、人類学的にはどう呼ぶのが正しいのだろう)っぽく見えない子供の姿も描かれている。これは「皆仲良く」という理想を掲げたものだろうか、それとも「多数の外国籍(および○○系日本人)の子供がいる」という現実を反映したものだろうか。
民族的文化的な多様性は、大田区においては「いつか実現すべき理想」ではなく、「恐るべき未来図」でもなく、既に「受容し、正しく対応すべき現実」だ。それにしても、インド仏教っぽい絵柄だなぁ。

厳正寺。インド仏教とかでは全然なく、普通に浄土真宗のお寺だった。奥に見える鐘は文化財らしい。

「水止舞の寺」ときた。水止舞というのは、雨乞いの反対で晴天を祈願するものらしい。そう言えば、郷土博物館でそれっぽい展示を見たような、見なかったような。雨乞いしたら雨が降り止まず、今度は洪水になったので、雨を止めるための舞を舞ったらホントに止まったのだとか。大田区民は神使いが荒い。今後は「一両日中に○○mm/hの雨を○時間お願いします」とか、具体的かつ定量的なお願いに改めていくべきだ。

覚えがある場所に来た。旧呑川緑道にかかる橋だ。以前は、橋の下を通ったので、同じ景色をみたわけではないが。

これこれ、この「旧羽田道」だけが、「自分が道を違えていない」ことを確認する手段だ。もうちょっとヒントが欲しかったなぁ。

浦守稲荷神社。今は児童遊園になっている。

「丸投げ禁止」、それが東京都のルールだ。丸を投げてはいけない。例え、相手が神様であろうとも。

末広橋。呑川にさしかかった。この西に京急蒲田駅があるはず。大森町駅から2駅分歩いて南下したことになる。先は長い。

この先、旧羽田道は「区画整理」されてしまって、現存の道と結びつかなくなる。といっても、やることは変わらず。住宅街を南下するだけだ。

五社大明神。この辺の写真、割と「歩いた道を後から確認するため」に、名前のついたスポットの記録を取っている側面が大きい。

おっと、いい感じにうねった道が。写真の奥≒東に見えるのは北前堀緑地。昔の用水路の跡だ。地図で見ると、この辺。

ニトリ大鳥居店の裏手に出た。道路の反対側には「変なホテル」が。
実はこの辺りから旧羽田道の道筋が復活する。権助橋。

大鳥居商店街に入り、また道が狭くなった。

商店街を抜けたら、大きな交差点に出た。産業道路と環八が交差する、この地下に京急大鳥居駅がある。南には川崎への入口である大師橋がある(けど、私自身は渡った記憶がない)。産業道路をさらに南下。

……する前に、ちょっと寄り道して、萩中公園に。公園の一角「ガラクタ公園」には様々な乗り物が展示されている。


都電荒川線。大田区には棲んでいない乗り物だ。迷子になった車両を拾ったのであろう。

スペースシャトル(軌道船)の精巧なレプリカ。
萩中公園にはレストランまである。ちょうど、お昼のピークを過ぎていたみたいだったので、ここで遅めの昼食をとることにした。
公共施設のレストランでビールを頼むのは市民の義務です!

産業道路に戻り、再び南進。道路沿いに神社仏閣。まず、自性院。続いて羽田神社。この辺は、いずれ羽田七福稲荷とかで。

さらにお隣の正蔵院には「羽田街道」の道標が。奥に見える小さな仏像は庚申様だろうか。

正蔵院の南端の交差点で、東に方向転換。龍王院というお寺がある。なお、写真を撮ったのは梅の花が気に入ったため。(梅の花……だよな)

そのまま東に進むと赤レンガの壁みたいなものが見えてきた。昔の堤防跡ということで、これも羽田の名所として扱われている。堤防のすぐ外に家が建っているので、堤防と言われてもピンと来ないが。(実際には家が一段低いところに建っており、その分の高さがある)

実は、この手前で曲がらなければならなかった。ここから「羽田七曲がり」と呼ばれる難所に入る。正しい場所で7回曲がらないと目的地にたどり着かないという、いわゆる迷宮だ。

鴎稲荷神社。1つめの曲がり角を正しく曲がれば、この場所に着く。

少ないヒントを手がかりに、迷宮を抜けると目的地の弁天橋。羽田に到着!。
(羽田空港を終着点に徒歩でくる者も珍しいだろうが)

2021年2月21日日曜日

県境を越えて

過去10年以上に渡って、町田市民であった者として、「町田の川」と認識している川が三本ある。1本目は市の北側を流れ、市の大部分をその流域に収めている鶴見川。2本目は本来の「町田村」にあたる本町田からJR横浜線と並行する恩田川。そして東京都と神奈川県の境目の基準であった、その名も「境川」である。

境川は町田市西端の相原地区から流れ始め、市の南側の線を構成し、鶴間の南端から神奈川県を縦断して江ノ島に流れていく。

その境川の名を冠した遊水池が神奈川県にあり、その至近には可動堰があるという。これは見に行かなくてはと思っていた。なにしろ元町田市民なので。

遊水池は湘南台駅から行くのが近そうだった。町田市民として現役であればもちろん小田急江ノ島線から行くのだが、大田区から出発せねばならないので横浜から相鉄線。


初めて訪れた湘南台はまるで異国であった。

「文化センター」?これが湘南の文化なのか。奇っ怪な!


路上に突如現われた謎の構造物……は、横浜市営地下鉄ブルーラインを地下にあるホームへと導き入れるためのもの。さらにその下には相鉄いずみ野線が通っている。(なぜ地下鉄の方が上を走っているのか?)


様々な疑問を抱きつつも、しばらく歩いて、境川遊水池公園に到着。密です!

スポーツに興じる少年達。水際で遊ぶ家族連れ。サイクリング中のおじさん達。望遠レンズ完全装備で水鳥を狙うお年寄り。


境川遊水池公園は、境川の川岸に設けられた3つの遊水池の上面を利用して整備された公園だ。広大な土地が余っている場所にしばしば設けられる野球、サッカーのグラウンドなど。あと、ビオトープに野生生物を招き入れたりもしているようだ。せっかくの水際なので。


境川を見に来たので、境川。

先ほど、路面の怪しい構造物として登場した地下鉄の高架(手前)と相鉄線の高架(奥)。手前を流れているのが境川。ここを上流(奥)に遡れば、町田駅前にたどり着くのだ。

海からここまで12km。後者の写真、遊水池が並行してあるので、写真では分かりにくいが、右側の狭い方が境川で下流(奥)に進めば、その先は新江ノ島水族館だ。

その江ノ島には、都民が殺到して地元の人たちの顰蹙を買っているということを伝え聞いているので、私自身は自粛中。(今いるこの場所も同じ藤沢市なのだが)

なお、境川の東側は藤沢市、西側は横浜市。境川はその名を裏切らない働きをここでも続けている。


南北方向に長いこの公園を、東西方向に橋が貫いている。鷺舞橋だ。引き絞られた弓のように湾曲した橋を、弦のようなワイヤーと矢のような鉄柱が支えている。片面吊り構造という、珍しい形の橋。私は初めて見た。川は一方向に流れるので、曲線にすることにメリットがあるらしい。


ビオトープ。期待して見に来たわけではないが、春の訪れがまだなので、全体的に茶色い。

ほう、ここではワニガメ(定着予防外来種)を飼育して……いるのではなく。捨てられ、住み着いてしまった彼らと地元民の間のトラブルを防止するための看板だ。


この辺の様相は、田舎の川の土手と大して変わらない。川が洪水であふれれば流されてしまう点も含めて。ただ、せっかくのビオトープに砂泥が流れ込まないような工夫はされていた。


公園の情報センター。

蛍光灯の交換もおざなりな、薄暗い施設を予想していたのだけど、金も手間も十分以上にかけて整備されていた。その上で手作り感ある追加展示や休憩コーナーもあって、居心地が良い。物販もある。


地層の剥ぎ取り標本。見上げないと、それこそ「海の底」の部分しか見えない。


建設前のこの土地の航空写真と現在の比較。以前は農地だったのだ。


あまり動きのある場所がなく、寂しくなって撮った水槽。境川やビオトープの生き物を捕まえてきたもののようだ。観察会みたいな催しの副産物だろうか。


おっと、可動堰を見に来たのだった。俣野堰は情報センターのすぐ傍にある。
俣野堰は川の流れを止めたいときに、ゴム製の風船を空気で膨らませて川を塞ぐ、というタイプの堰だ。

川底に、川を横断するように、黒い部分がある。今は「全部流す」モードで、ペチャンコだ。農業用水の取得などの目的で、水をせき止めて水面を上げたい時期だけ、ポンプ等で空気を送り込んでダムのような形に膨らませるのだ。


遊水地内の水を川に戻すための水門(複数あるうちの1つ)や、境川の東から流れてくる和泉川との合流地点もすぐそばにある。

可動堰が動くところを見れなかったのはしょうがない。(年間でコントロールするようなもの?例外は増水時くらいだろうし)


目的も果たしたので、来るとき通らなかった道をたどって公園を出る。

川と遊水池を遮る堤の一部が切り取られたように低くなっているのが見える。増水時にここから川の水が遊水池に流れ込む、越流堤だ。往路でサイクリング用の道を歩いていたとき、まさに堤の上に橋があるのを不思議にも思わなかった。「『えつりゅうていばし』って、漢字でどう書くんだ?」と橋の名前に疑問を感じたくらいだ。橋の下はこうなっていたのだ。