2012年11月24日土曜日

劇場版オバケのQ太郎(ネタバレ注意!)

肝心のQ太郎が登場しなかったので、これをさすがに『オバQ』とは認め難い。ちょっと控えめに『エバQ』と題したスタッフの判断をまずは評価したい。


作品自体としては「うまくまとめてきた」という印象を受けた。

旧作のように、主人公が突然不可解な行動を見せて観客を呆然とさせることはなく、情報のギャップなどの要因で説明可能な、無理のないものとなった。

新しいキャラクターや、旧作でほとんど接点がなかったキャラクターとのシーンも追加され、主人公の世界が若干広がった。

劇場版オリジナルのオバケ達のデザインや、その他ビジュアル上のイメージも親切すぎるほどに説得力のあるものとなっている。


ノイズとなっていた枝葉が刈られ、ヒントとなる補助線が引かれ、主人公の行動意図と筋が見えやすくなった反面、彼を取り巻く状況の異常さも際立った。


周囲の人間が、彼をモンスターとして扱っているのだ。

確かに、事実上、彼は世界を滅ぼす力を持っている。恐れられるのは仕方がない。しかしそこで彼らが取る行動は、状況の説明と説得ではなく、なぜか一方的な命令と拘束そして脅迫だ。(おいおいそこは土下座してお願いすべきところなんだぞ)

また、「大量殺人者の息子で実行犯」であるものの、彼自身は、単に善意の第三者として行動してきたに過ぎない。問題があるとすれば、判断材料が足りない時に、ブレーキではなくアクセルを踏んでしまう主人公気質くらいだ。であれば、彼に判断材料を全く与えずに「○○するな」という否定形の指示を出し続ける者の無策こそ責められるべきだろう。

彼を見る周囲の目は、ラッシュアワーの混雑に泣きそうな子供に「騒ぐな。泣いたら殺す」と殺気立つ大人たちのそれに似ている。自分たちが置かれている状況の非常識さから目をそらして、子供が子供であること非難しているのだ。山岸俊男なら「こころでっかちな反応」と評するかもしれない。


彼に対する包囲網は、頼まれもしないのに世話を焼いてくるおせっかいなオバチャンが1人いれば容易に瓦解するくらいの、非常に脆弱なものだ。が、なぜかそういうキャラクターだけはこの作品には登場しない。登場して欲しい。で、オバチャン役には杉本ゆうさんを希望する。

0 件のコメント:

コメントを投稿