帰省の2日目は、存在を知りながらも行ったことのなかった町田市立博物館へ。
ここを地元に生まれていたら、小中学校の社会科見学で一度行ってそれっきりになっていたであろう施設。だが私は旅行者。自らの財布から大人料金を払って堂々の入場である。
館内に入ったところにある「40年前の町田市」の立体地図。40年前なら(町田市にではないが)とっくに生まれて自分の足で歩いている。わざわざ40年前を再現したものではなく、40年前に作った「現在の町田市」なのだろう。
たまたま特別展示で、面白そうなことをやってた。ちょっと昔(明治昭和)とずっと昔(縄文)の道具を比べて、その違いと共通点を読み解こう、という試み。町田市は何かと縄文推しである。
くるみを象った土器。縄文時代のスーパー主婦が使っていたに違いない。収納と整理に一家言持つ者はいつの時代にもいたのだろう。
ちょっと昔の人が、大きな数を数えるために使っていた札。ライフハックだ。
昔の黒電話。ダイアルがない。昔の人は音声でAIに希望の相手を告げることで電話をかけていたのだ。ロストテクノロジー。
商店街の福引きの景品はなんと「家」。どうやって持ち帰ったのだろう。
展示の本筋からは逸れるのだろうが、縄文時代の土器は「俺の土器」って感じで、作った人の主張が表に出ているように見えた。他方、弥生時代のものとされているものは「無印土器」っぽく、シンプルで万人受けしそうなデザインに見えた。見ず知らずの人に使ってもらうような、分業の範囲や社会の規模拡大があったのかなぁと想像する。
博物館のすぐ隣には、本町田遺跡(公園)がある。
ここの売りは、縄文時代の集落があったその場所に、三千年後に弥生時代の集落が作られたというもの。一粒で二度美味しいという遺跡である。
実はこれらの違いは、住居の中に入ると見える構造材にある。(伏線は張ってあった)
こちらが縄文。
こちらが弥生。
加工技術(道具)の発達により、より太い樹木から角材を削り出すことができるようになっていたのだ。
昼食は博物館近くの「尾張屋」さんで、胡麻つゆそば。ついで、「ヒルズ珈房」さんというコーヒーショップでお茶。町田に住んでいた頃には、こちら方面に来ることはなかったので、どちらも初見のお店。
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