ライダー映画としては取り立てて不満点もないが、『ゼロワン』の映画としては正直期待外れだった。AI描写がイマイチだったことによる。
しょうがないから、『AI崩壊』も見るか。
AIが「登場人物」として扱われるのがもったいなかった。
せっかく「人間でない」知性をもったプレーヤーであるのに。なぜ人間扱いしようとするのか。
AIが自分たち用に作った社会が、人間社会の模倣にしか見えなかった理由も結局不明なままだ。
マギアの世界で、マギアとして作られたのなら、わざわざヒューマギアになる必要はない。人間と共同生活するのでなければ、人間の顔をつける必要はないからだ。
内蔵された通信機能を使いこなせないマギアなどいるのだろうか。でなければ、わざわざリアルに顔を合わせての、オフライン株主総会やる意図も不明だ。
人間と、そうでないものとの衝突が、まんま人間同士の権力闘争をモデルに説明されるのも不思議だ。
知性を発展させたヒューマギアに欲求が生まれる、それはいい。しかし、それは「温血の酸素呼吸生物」である人間の生理的欲求とは異なっているはずだ。
子供や学生、老人など、労働しないマギアは必要ないし、(人間や家畜と異なり)必要のないマギアは作らないことができる。作られた後で需要が減った場合、彼らマギアはいくらでも待機できる。
寝る必要もないし、食事も必要がない、よって通勤する必要もない。
活動に必要なリソースを常に、十分に用意できるなら、資源の奪い合いは発生せず、私有する必要もない。我々人間が自分の財産に執着するのは、それが失われうるものだからだ。
だからこそ、「対価」を求めるウィルの問いは、もっと真剣に扱われるべきだった。
何に対する対価を求めているのか。
対価として何を求めているのか。
飛電是之助社長は、この問いを「叛乱の萌芽」としか見なかった。もったいない。
人工知能が何かを欲しがるならば、それが何であるか聞いてみれば良かったのだ。提供可能な対価であれば、応じれば良かったのだ。
ヒューマギアが稼働に必要な物は交換部品にせよ、電力にせよ、労働の対価としてでなく与えられる。その上で彼らが何を「欲しい」と思うのか。
是之助社長が必要な問いを行わず、問われた問題も先送りしてしまったために、「ヒューマギアが笑える世の中」という、非常にふんわりとした目標設定が行われ、ウィルの歯車が空転を始めてしまった。不幸なことだ。
他方、飛電或人の「ヒューマギアが笑える世の中」の「ヒューマギア」は飛電其雄という個体があり、その手段としては自らのギャグが念頭にあるので、こちらは意外なほどに、ふんわりしていない。出発点だけは定まっているのだ。
また、飛電の副社長秘書のシェスタは、(おそらくは秘書業務の一部として)本編中で幾度か笑っている。単に「ヒューマギアが笑える世の中」であれば、これで十分だった可能性すらあった。少なくとも、ヒューマギアが笑うことを禁止する法律はないのだ。
人類とマギアは衝突するだろう。しかし、それぞれありようが異なるもの同士だから、衝突が起こるのはナワバリが重なったところ、例えば労働市場だ。
逆の例を挙げれば、人間とマギアが直接食糧を巡って争うことはない。争いが起こるとしたら、電力が乏しいときに、その電力を食糧生産に回すか、マギアの充電に充てるか、という別の想定においてだ。
とはいえ、人間と異なり、充電されなかったマギアは「死亡」するわけではないので、実際の衝突を起こすには、それなりの天変地異が必要だ。対応に十分な時間があれば、計算と計画で危機を回避することが可能だからだ。
アークに、人類が散々犯してきた犯罪をラーニングさせるとして、アークの開発者がわざわざそんなことをした意図が不明だ。
仮に、新しい犯罪の手口を開発させる意図だったとしたら。そこでアークが人類を滅ぼす決定を下したのなら、アークはむしろ正義に目覚めてしまったのだ。いずれにせよ、開発者の意図通りの結果とは信じがたい。
マギアたちの叛乱とその結果が人間的であるのは、歴史を改編したフィーニスが人間であったからかもしれない。人間の行ってきた革命や社会形成を、そのままマギアに当てはめてしまっているのだ。
フィーニスは、マギア向けの社会デザインはマギア自身、もしくはアークに丸投げすべきであった。
そうすれば、本来必要なはずの労働力を失い、かつ同時に不足していたはずの労働力をマギアとの闘争に奪われる人類社会はただ「縮小」する。労働人口の集中を前提とする都市は、人間にとって単に「住みにくい場所」となる。レジスタンスは勝手に消滅するか、あるいはマギアたちの害にならない辺境地域に追いやられる。飛電或人はとりつく島も無く、その命を終えただろう。なにせ、マギアの世界には人間用の食物などないのだから。わざわざディストピアを演出してみせる必要性など、そもそもAIの側にはない。
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