2020年11月1日日曜日

呑川にゴジラは来ない

以前住んでいた町田市には今でも未練タラタラであって、町田にあって大田区にないものを指折り数えて懐かしむ……というほどでもないんだけど。


逆に、大田区にあって、町田市になかったものも当然あって、その1つが海だ。


どちらかというと、水族館を擁する「しながわ区民公園」が近隣にあるので、大田区の公園にはなかなか来ないのだけど。最初に訪れたときに既に終業していたレストハウスに来てみた。今回は冬季限定豚汁うどんを頼んだけど、ビールからソーセージから、パスタとか思った以上にメニューが多彩だった。なんか理由つけて、また来たい。


レストハウスから「大森ふるさとの浜辺公園」を南下。


海苔の養殖は、これからも大田区の主要産業であり続ける。



さて、ここからが本番。「呑川水門」だ。

写真左側にあ……ない水門。

呑川の河口と離れた場所にありながら「呑川水門」を名乗るこの奇妙な場所を、Googleマップで見つけたのでやってきた。……という次第。

写真を撮ろうとして、ぜんぜん必要な情報を得られないアングルであることに気付く。
今、この「水門」は機能しているのか、いないのか。向こう岸から見るんだったなぁ。

水門(なのか?)の内側には、ボートが何艘も係留されていたけど、川(なのか?)は早々に途切れて、公園がその跡を埋めている。


それがこの辺だ。


ここから雨水が取り込まれるのであろう。下に流れた雨水は、先の水門から海に出るのだろうか、それとも全く別の経路の下水道に流れていくのだろうか。


公園の中で時折見かける水たまり。(さすがに流れてはいないよな?)


公園をまたぐ歩道橋。細長い「公園」の蛇行とあいまって、奇妙な眺めだ。この辺。いかにも「昔は川だった」と言わんばかり。


歩道橋のみならず、「産業道路」と呼ばれる大きな通りも、この公園を跨いでいく。


ただでさえ「細長い公園」が、だんだん細くなってきた。もう、両端を走る道路の方が広く見えてくる。(場所


「旧呑川緑地」が正しい名称だったらしい。「大田区としては、この場所を公園と呼称してはおりません。なにしろ細長いですし」(場所


細さここに極まって、とうとう人が通れるのもここまで。ここから先は道路の中央分離帯みたいな扱いになっている。(場所


そのまま進むと、歩道橋に。目の前を流れているのは……厚かましくも現在「呑川」の名を僭称している不逞の流れである。先ほどまで歩いてきた本物の呑川「シン・ノミカワ」から、その上流からの水流を奪った簒奪劇の舞台とおぼしき場所は、中学校になっている。その黒歴史を覆い隠すように。


上流側にちょっとたどると、夫婦橋親水公園。水害を防ぐための堤防がここだけ低くなっている。高潮や洪水で水位が上がったとき、まずここに“浸水”するのだ。水が入ってくる想定の場所には水色の床材が敷かれている。奥に見えるは京浜急行電鉄が誇る「蒲田要塞」。ここまで来ると、もう休日に買い物に出てくる蒲田の街中である。


親水公園の中にある碑。かつての「シン・ノミカワ」が振るった猛威とか、その威光とか、後の簒奪に関わる悲劇とかが、きっと記されていたのだろう。今では既に判読できなくなってしまっている。人々の記憶も、その記録も歳月とともに薄れていくのだ。



勝海舟がせっかく作った「東京」だが、現在絶賛壊滅中。ザックリ言うと、地面がめくれあがって、球体の内側に閉じ込められてしまうのだ。地面の下の旧河川や下水はどうなったんだろう。
次のタイトルでも東京を舞台にするのなら、ぜひ地下世界を扱ってほしいと思った。

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