2021年12月30日木曜日

アイの歌声を聴かせて

良い映画だと、周囲では評価する声が多かったものの、なんとなく食指が動かずにいた作品。
上映スケジュールもそろそろ終わりというタイミングで、観に行ったのは『BEATLESS』の水島カントクと長谷センセが「これは観ておかんと」的なコメントを発していたことによる。

なので、「映画としては『高校生の恋愛・部活その他を扱った青春群像劇』ということになるのだろうが、私は人間に関心がない」というスタンスで観ることになった。

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はじまりは、人間側の主人公であるサトミ、その母である天野美津子が評価試験目的で、AI搭載ロボットの「シオン」をそれと知らせずにサトミの高校に転入させたところから始まる。
はい、人類オワタ\(^o^)/

シオンは可愛くはあるが若干間の抜けた表情を持つ、AI搭載型のロボットだ。人間をしのぐパワーの持ち主で、それがAIの判断で猪突猛進する。事故が起こったときの想定がなされないのが不思議なくらいだ。リスク管理云々以前の、「大丈夫、いけるっしょ」的なノリで、街中にイノシシが放たれた。

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評価試験の主眼は「人間ではないとバレないこと」。作中でウォズニアック・テストと呼ばれていた。実際にはサトミ、および少数のクラスメートには早々にバレてしまった。しかし、彼らは母親(のキャリアと社内での立場……今までの努力の成果、心の支え、etc.)を心配するサトミの、たってのお願いで、秘密を共有する仲間となった。……だけでなく、シオンについていた、ほぼ唯一の安全装置である、緊急停止装置まで無効化してしまった。「緊急停止すると、人間でないことがバレるから」という理由でだ。
またしても、人類オワタ\(^o^)/

この時点で、シオンに対する、人間からの直接コントロールが不可能になってしまった。説得交渉という信頼関係ありきの間接的な手段を用いるか、暴力的な手段による破壊かの2択になった。(気長にチャージ切れを待つ、は後者に属するとしておく)

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映画中盤の見せ場は、サトミの住む景部村(?)の海岸近くにあるメガソーラーに無数に設置されている、太陽光パネル、風車、オマケに花火まで動員して演出された、シオン+仲間たちの歌唱シーンだ。 ディズニーのナイトショーよろしく、ライトアップされた設備が、7色の光で浮かび上がる様は圧巻だ。
私自身はどうかと言えば、諸経費や後始末のことを想像してドン引きしていた。クラウド・コンピューティングの設定をおろそかにしていたために、知らぬ間に無制限のコンピュータ資源が利用され、結果、ある日突然とんでもない額の請求が来たという、先達の事例を思い浮かべていた。
三度、人類オワタ\(^o^)/

こんな私的なお祭りに、事前の根回しや予算獲得など、なされていようはずもない。
電飾などの設備は既存のものだろうが、利用されている電力や花火は「どこからかもってきたもの」だ。AIに私有財産はなく、学生たちが扱えるような金額でもなさそうなので、自然、犯罪的な手段が想像される。後ろ暗い行為を平然と行うような人格の持ち主として描写された人物は、主人公グループの中にはいないので、「シオンが施設へのハッキング等を行った」と解するのが自然だ。
(もちろん、えん罪の可能性はある。例えば、劇中で語られなかったアラブの石油王的な人物がいて、そのポケットマネーから支払がなされていた可能性がある)

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シオンは、ロボットという完結したハードウェアに搭載されたAIとして描写されていたが、ネットワークを通じて他の電子機器への干渉が可能であり、バックアップで自己複製もできる。
そのことは、それまでも劇中で描写がなされていたが、シオン自身に「外界に干渉する手段と範囲の制約」が課せられている気配が全くないのが怖かった。
唯一「サトミの幸せ」という酷く不確かな文言が(何者かによって事前に)与えられており、それが至上の命令として扱われている。
シオンは、「サトミの幸せ」という文言を唯一の基準に、自らの判断でポイントを切替えては暴走を続けるトロッコであった。死者が出ないのは、たまたまそこに人がいなかったからだ。

シオンと仲間たちの度重なるやらかしも、その原因を作ったサトミの母親、美津子も「将来、金の種になりそうだから」という理由で免責され、実害も企業の施設と財産の範囲内に収まったということで公表されることもなく、サトミたちは日常の平穏を取り戻した。もとの社会と違うところが一点だけあって、それはシオンとサトミたちだけ……もしかしたらその企業も……が共有する秘密となっている。

カッチリしたルール策定を嫌う人々の中に、できることとやっていいことを区別しないプレーヤーが混ざると、簡単に社会が危険にさらされる。それがAIでも企業でも。劇中には出てこないが、たぶん政治家でも。

とんでもない悪人も、きらびやかな才覚を持つ天才も出てこない。登場人物に責められるべき落ち度があるとすれば、無邪気とか無知とか怠慢とか無責任とかの消極的なものだ。人類が滅びるときは、案外そんなものかもしれないと思った。人類を破滅に追いやるスイッチを、それと知らずに押すのは私自身かもしれない。もう既に押していたが気付いていないだけなのかもしれない。そういう類のリアルさがあった。

良い映画を求める人には、間違いなくお勧めできる良い映画である。ただ、私自身にとっては恐怖ばかりが先に立ってそれどころではなかった、ということだ。

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