2016年8月15日月曜日

のん・ゴジラ

twitterで評判良かったので無視できなくなった。
私としては珍しいチョイスのしかただ。ガルパン劇場版ですらスルーしてたというのに。(後にセル配信でハマる)
でも庵野作品だしなぁ的な色眼鏡をあらかじめ掛けつつ鑑賞。

不正確なあらすじ

東京湾の海底で異変が起こってるような気がするらしいっていう、極めてうさんくさい情報から始まる。
主人公は、異変の原因をいちはやく「巨大生物のしわざ」と気づくが、何ら根拠を示すことができないので邪魔者扱いされる。当たり前だ。

政府の面々があーだこーだしているうちに起こる津波。津波が起こるまであーだこーだしている政府の面々。
「実際に起こっているのは何事なの」という問題と「現状をどのように説明すべきか」という2つの問題の間を転がっていく。この2つの問題は、向いている方向は全く別であるにもかかわらず、一緒に語られがちである。会議あるある。
新しい情報が入る度に会議体が変わり、政府要人達が場所を移動していく。対策本部の什器も並べられては片付けられを繰り返す。民主党の事業仕分けで机と椅子に1,300万円、の記憶がよぎる。リアルな描写だ。

かくして謎の巨大不明生物・ゴジラが上陸してくる。津波の難から逃れてきたかのようだ。
そのゴジラに、無情にも日本の夏が襲いかかる。夏将軍だ。
あまりの酷暑に熱中症で倒れてしまうゴジラ。慈悲はない。
やっぱり海中のほうが過ごしやすいよね。海に戻るゴジラ。

何度めかのIT革命の末、ついにろくろを回す技術を身に付けるゴジラ。これは世界を変えるかもしれない!
しかし、時既に遅し!いつしか政府関係者の関心事はゴジラ自身から離れてしまっていた。
(具体的な言及は避けますが、人間の最悪の敵はやっぱり人間自身ですよねーという展開)

感想めいたこと

他の観客の反応がイマイチだったのが気になった。私が見ていた回だけかもしれない。
今さらゴジラが怖いと泣きだす子供はいなかった。
隣のファミリー客は、人間しか出てないシーン(つまり大半)ではひそひそ話してて、劇中の会話が聞き取れない。つらい。
やはり、リアル被災地で見たのがいけなかったか。私の心の中にしか存在しない、被災の達人たち。プロ被災者のココロの声が聞こえてくる。(個人の幻聴です)

  • なぎ倒される市街「なぎ倒された跡はこんな風にきれいにはならないよ」(幻聴)
  • 避難所の市民達「本当に苦しいのはこの後さ」(幻聴)

ともかくこれらの幻聴のせいで、ラストの希望をほのめかすシーンがひどく脳天気なものに感じられた。
「あ、そう。良かったね」以上の言葉が出てこない。
「この国は何度でも立ち上がる」の「何度」って、何と何が勘定に入っているんだろう。

前評判からの想像に反して、ゴジラ自身の存在感の薄さが印象に残った。今思い返すとそれがとても残念だ。そう言えば、ゴジラが何を求めてさまよってたのか、私はわからずじまいだった。
徹頭徹尾、人間側の都合だけ描かれている映画だったので、観ている私自身の中でも、ゴジラごとき、どうでもいい些末事になってしまっていたのかもしれない。

2016年8月3日水曜日

パックスパミール

アフガニスタンを巡る、イギリスとロシアの両帝国の抗争を題材とした、政略ゲーム。
19世紀頃に実際にあった抗争がモデルとのこと。

グレート・ゲーム(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/グレート・ゲーム

それではプレイした感想を……といきたいところなんだけど、当日持ち込まれたこのゲームのルールを誰も理解できず、原著、翻訳のルールブックを1時間ほど取っ替え引っ替えした挙げ句のギブアップとなった。屈辱である。

そもそもゲームのゴールが何なのかを理解するのに30分以上かかった。
そのゴールに到達するためにプレイヤーが行えるアクションを読むのに30分以上かかった。
ゲームのゴールを目指すとして、それぞれのアクションの効果がどうゴールに結びつくのかを理解……できなかった。

プレイヤーは商取引を行うことができます。 うん、それで?
プレイヤーは愛国者の買収を試みることができます。 よかったね!

仕事柄、説明文の読み書きを日常生活の一部としているプレイヤー達による批判合戦が始まった。

とにかく、ルールブック、カード類の設計が甘いと思われた。人間の読解力、想像力に頼りすぎだ。

翻訳版のルールブックに関しては、用語の表記が日本語、カタカナ、原文が混在していて、それらの対応付けに苦労するハメになった。
専用カードを使うゲームなので、(当日初めて目にする)複数の種類のカードを、ルールに合わせて使い分ける必要がある。都市、イベント、人物、抗争のテーマ……これらはテーブル上での配置場所からして違うのだが、たまたま手に取ったカードが、説明書の中に書かれているどの種類のカードに当たるのかがわからない。カード自体は英語表記なのだが、翻訳版の説明は日本語で書かれている。で、翻訳版の説明書をまず読んで、原著のルールブックの相当箇所から原文の英語表記を確認して、カードを特定するという手間を取ることになった。翻訳版からの類推だけでまかなおうとすると、どうしても勝手読みを行ってしまうのだ。
「カードが見つからない」
「何のカード?」
「それ、さっき別のカードだと思ってプレイヤーに配ったヤツだ!探せ!」

また、こちらは原著のルールブックの欠点そのままなのだが、導入もソコソコに、個別のアクションの説明(しかも多い!)に突入している。
アクションには通常アクションと特別アクションの2種類があります。 ……その2つを区別することにいったい何の意味が?
結果、我々はゲームの目的が、経済的な成功なのか、人気取りなのか、戦争での勝利なのかを理解できぬまま、最初に行うべきアクション、「とりあえずビール」を求めてルールブックの節節をぐるぐるさまようこととなった。

導入から、ゲームの目的、プレイ中に取れるアクションの説明、史実の解説、用語集。一般的なルールブックの体裁を取ってはいる。が、ルールを全部把握しないと最初の一歩すら踏み出せないというのは社会人カジュアルゲーマーには辛すぎる。時間を……返して……

カードに書かれている情報にも不満がある。細かい図説が複数書かれているのだが、なにか見落とした情報があるのではと読んでみたら、ルールブックに書かれていることの引き写し。カードみたいな小さい媒体には、そのカードに固有の情報だけを大きく書くべきだ。

カードをテーブルに並べる際のルールも多すぎる。複雑さを抑えられないのであれば、広いボードを用意して、そのガイドに沿ってカードを並べさせるべきだ。
また、手札として配るべきカードとテーブルにしか配置されないカードは、それぞれ大きさや形を変えて、混在できないようにするべきだ。
兵士や民衆を示すコマは、無意味な円柱や立方体ではなく、そのような形をした人形であるべきだ。

それを言っちゃあ、という気がしないでもないが、そもそもカードゲームであるべきではなかった。道具立て全体のスケールを上げて、プレイヤーに相応の場所と時間の確保を要求し、その分をプレイヤーの理解を助ける工夫と雰囲気作りに使った方がよほどいい。

UIとかUXを考えるときの、良い反面教師が見つかった。
こういうのを見つけてしまうと、自分でルールブック書きたくなるよね。

2016年8月2日火曜日

キャッスルクラッシュ

木製の積み木で建てた城を、互いに壊し合うゲーム。

https://tbdgames.wordpress.com/game-market-14/soso-studio/

さて、ここに多大な国費を費やして、建てたばかりの頑丈な城を自慢したくてたまらない王様が4人。互いの見栄と勢いから「破城鎚を喰らわせあって、どの城が一番堅いか決めよう」などという、誰の得にもならない約束を交わす。

待ちに待った勝負の当日。最初の一撃を食らうことになった緑の国の城。ほら見ろ、ビクともせずに重い一撃を耐えきったぞ。傍らの大臣に得意満面の笑みを向ける王様。さあ、他の王様のお手並み拝見。
あれ、次の王様も我が国の城を狙ってきたぞ? ルール違反じゃないの? あぁ? 順番に攻撃するとは書いてあるが、どの城を攻撃するかに関する決まりを書き忘れているではないかっ……。
ちょっと待て、待ってくれ! もう一度話し合おう!
王様の叫びをかき消して響く崩壊の音は、城が発したものか、それとも王様の心が発したものか……。

  1. 各プレイヤーは、中央に置かれた破城鎚から一定の距離に、定められた資材(積み木)を使って城を建てる。加えて、王様コマと大臣コマも配置する。
  2. プレイヤーは順番に、しかし任意の城に対して攻撃する。具体的には、そもそもが自立しない棒状の破城鎚を、方向と距離を見定めて‘倒す’。破城鎚の重量がそのまま城を破壊するエネルギーの源となる。
  3. 飛び散った瓦礫や放り出された城の住人(王様と大臣)が攻撃したプレイヤーの得点となる。
  4. 攻撃が2巡して、まだ建築物や住人が残っていれば、それは城を建てたプレイヤーの得点になる。

攻撃する城はその場その場で選べる。トップにいるプレイヤーの城を狙って差を縮めにいくか。それとも明らかに弱点が多い城を狙って高得点を狙うか。
もちろん、攻撃一辺倒ではない。他のプレイヤーから狙われにくい、あるいは攻撃をしのぎやすい築城法はないか。
さらに言えば破城鎚の使い方。プレイヤーが力を込めて……ということはできないので、技を磨く必要がある。

単に城を固めるだけなら、積み木を横に並べるのが手っ取り早い。しかし、積み木の並べ方も得点に影響し、重ねて積むことで高得点が狙えるので、土台に直置きするだけでは勝利は望むべくもない。何らかの工夫が必要だ。
築城法としては、大臣コマを敢えて前面に立てる「人間の盾」作戦が、一部のプレイヤー……というか約2名……の間で、なぜか定石の如く使われた。破城鎚の空振りを誘う効果があると信じられたためだ(が、その具体的な機序は不明のままである)。加えて対戦終盤では、切妻状の屋根パーツを前面装甲とし、その斜めの角度に被弾傾始の効果を期待する「T-34ショック、あるいは通称すみぺ作戦」が編み出された。
破城鎚も、棒の両端の大きな塊が付いている方が‘ハンマー’であると単純に思われていた。が、もう片方の塊の小さな方で弱点をピンポイントで狙ったり、パーツに鎚をかすめさせて隣接する別パーツをはじき飛ばすといった、器用な使い方もできることが分かった。(その一方、単なる空振りで攻撃機会をふいにするプレイヤーも散見された)

ボードゲームと分類されはするものの、頭だけでなく、手先の器用さ、指先の感覚、そしてバランスの見極めなど、いろいろな力を動員することで攻防の幅が広がるゲーム。
普通の積み木では飽き足らなくなってしまった子供たちに。そしてその遊び相手の大人達に。

2016年8月1日月曜日

スモールワールド

誘われるまま、予備知識もなくボードゲームの面子に入れてもらっては、初心者丸出しのプレイをする日曜日。

この手のボードゲームは、プレイヤー同士を競争させる必要からか、割とみもふたもなく利己的な目的を設定して「悪党同士、遠慮なく殴り合ってくれ」とやるものが多いようだ。

今回やったのは、ファンタジー世界を舞台にしたボードゲーム。

狭すぎる世界の中で、安寧と住処を求めるファンタジー世界の住人達……エルフ、ドワーフから巨人にいたるまで……を相争わせつつ、彼らが得た富を巻き上げていく。そんなお茶目な神様達の勢力争いのゲームである。
神様達は複数の種族の中から、自分のごひいきを選んで、彼らに新しい土地を開拓させたり、他の種族から土地を奪わせたりしていく。
そう、彼ら全員が等しく住うことができるほど、この世界は広くないのである。狭い土地とそこから得られる富を狙って、新興種族は先住種族を土地から追い出していく。

そしてこのゲームでもっとも悪虐なのは、神様であるプレイヤー達がそのごひいきの種族を乗り換えることができる、その名も「衰退」システムにある。成長の限界を迎えたり、あるいは戦争で生産人口を大きく失ったりした種族を見捨てて、より若く可能性を秘めた種族に力を貸すのである。( ;∀;)イイハナシダナー

衰退させることを選ばれた種族も、まさか自分たちが神様に見捨てられたとはつゆ知らず、けなげにお賽銭を捧げ続けてくれる。彼らから言わば不労所得を得つつ、新しい種族には他のプレイヤーのごひいき、あるいは元ごひいきの種族の土地を襲わせてその資金源を奪って、神様のコミュニティの中での相対的な優越を図っていくのである。

ファンタジー世界の種族達は割とお馴染みの面子である。その長所も短所もお察しの通りのものなのだが、登場順や特殊能力の付加というランダム要素もあって、雑魚扱いの種族が思いもかけず重要な働きをしたり、強力なはずの種族が周りとの相性の悪さから大して活躍もできないまま衰退に追い込まれたりする。
今回のプレイでは、早々と衰退させられた種族やゲーム開始時点で既に衰退状態にあった本来の先住種族が、「攻撃しても旨味がない」というヒドく消極的な理由で他のプレイヤーの侵攻を阻む「優先度の壁」となり、かつゲーム終了時点まで生き残るという意外な結果にもなった。字義通り、ゲームのコマでしかない彼らにも愛着めいたものが感じられてくる。

想像しやすい世界設定とバラエティに富んだ各種族。理解しやすくまとまったルール。
何度もプレイして、その奥深さをかみしめたくなる、そんなゲームだった。

https://hobbyjapan.co.jp/smallworld/

2016年7月26日火曜日

ぽけもんご

自分でもちょっとやってみて、トレーナー特有の行動を把握したところで、街中のそれとおぼしき人々を観察。

私(あるいは、たまたまプレイ中でないトレーナー)が他のトレーナー(あるいは、たまたまプレイ中である人々)を見て違和感を感じるとき、私は実際には何に違和感を感じているのか。
公共の場所の中に、他人の私的な空間が突如入り込み、公共の場所が切り取られてしまったというのが実感に近い。
はた迷惑なヲタク……例えば一部の撮り鉄のような……とされる限られた人々だけが、無自覚かつ特権的に行ってきた迷惑行為が一般化したのか。確かにそんな風にも見える。

では、実際に起こっているのは、今まであまり見られなかった事態であるのか。一概にそうとも言えない。
泥酔して暴れ出す者、歩き煙草、大音量で音楽を流しながら街中をゆく車、ヘッドフォンからの音漏れ。公共の場所に私空間を持ち込む行為は枚挙に暇が無い。
むしろ、「公共」の中にいる、我々の方がこの新しい迷惑に不慣れで扱いかねているとも言える。慣れることによって、違和感それ自体は薄くなっていくだろう。

では迷惑さ、危険さを減じることはできないだろうか。
必要なものは公共心? 技術? ルール?

私自身に関して言えば、公共心にはあまり期待するところがない。
そもそも公共とはいうが、それ自体が不確実なものだ。
例えば、その昔に新興宗教系のPCショップが行っていた路上での呼び込み(この宗教団体は後に比較にならないほどの迷惑行為……事件を起こした後に壊滅させられた)。その宗教活動に関心の無い我々にとっては、私企業が行う私(わたくし)の行為だ。他方、店に所属する店員自身にとっては公(おおやけ)の行為だ。
例えば、ある系統の劇団が時折企画する、突如街中で始まる演劇。警察の許可は得ているだろうが、あずかり知らぬ通行人は驚くだろうし、そもそもがそれを意図しての企画だ。通行人に(適法かつ穏当に)迷惑をかけることで、公共と信じられていた場所を、複数のエゴが拮抗する場所に変えて、日常を破壊してみせる試みだ。
意図してのことにせよそうでないにせよ、公共そのものは相対化されうる。このようなときに、何を許して何を許さないかのよりどころになるのは公共心そのものではない。どこまでを公共とするかを規定するのは法の役目だ。

技術という面で見れば、なにかと拡張現実という言葉で説明されてきたPokémonGoだ。が、今までの考えからすると、結局拡張されている現実って何なの? とも言いたくなってくる。
現実世界に存在しない物が映る窓は手に入ったが、その窓が物理的に小さすぎて視野が狭くなってしまっている。
狭くなった視野が、その中への視線と注意の集中を求めてくる。結果、プレイヤーは自覚無く、獲物を狙う猫のように無防備な状態に陥る。
ゲームの製作者は、今までプレイヤーに没入感を与えるための工夫と研究を行ってきた。今、ここに至ってはむしろプレイヤーをゲームの中に埋没させない工夫が必要になってきている。
この没入にブレーキをかけることが技術的に難しいのなら、没入とそれに伴う危険を意識させ続けることが必要だ。

今でも語りぐさになっているバーチャルボーイ。拡張現実のずっと手前で、仮想現実を最新の技術として求めていた頃。
ゲームに没入するためには、むしろ儀式が必要だった。ゲーム機を据え置く専用の場所。外からのノイズを遮る黒いウレタンの覆い。プレイヤーの目の疲労を抑制するために、あえて赤一色とされた液晶画面。
これからゲームをするのだという明確な意志。今から始まるのは特別な時間なのだという神妙さ。否が応でもそれらを要求する機械だった。
我々は今こそかのゲーム機を物置の中から取り出すべきなのだ。

2016年7月23日土曜日

Bash on Ubuntu on Windows

MicrosoftがUbuntu環境をWindows上で動かす魔改造に取り組んでいるというので、参加してみている。

例えば、対人間のコミュニケーションはExcelやWord文書なので、会社のPCはWindows一択。でも、開発するときはサーバと同じ*nix環境でやりたい……といったとき。事務用と開発用のPC実機を2台持つ、あるいは片方の中に仮想PCとしてもう片方を構築する、といった選択肢が今までもあった。
しかし、PC2台は場所を取る、仮想PCは動きがトロくなりがち、といった固有の回避しがたい問題もあった。

そこにMicrosoftが、Windows上に*nixの各種お約束が通じる場所を直接作り込んでしまうという新しいアプローチを試み始めた、というところが今の局面。

  • シェルはbashがデフォルトだが、インストールすれば他への切替えも可能。
  • ファイル名のルールはWindowsではなく、*nixのお約束に従う。
  • ファイルのアクセス権管理もWindowsではなく、*nixのお約束ベースで……ここは未完成。
  • パッケージ管理はaptで、linux用のソフトウェアを直接持ってこれる!
  • ネットワークは機能するが、未だ開発途上。avahiはもちろんpingもダメ。

Vimはもちろん。

byobu(tmux)上でPowerlineでさえ動く。

いっそ、Ansibleでローカル環境も管理しようかと試みたが、情報収集時点でfailした。
原因は、*inx環境ならあるはずのシステムファイルが完全には再現されていないため。
でも、このBash on Ubuntu on Windowsを管理用のPCとして、他のPCの環境を構築することはできそうだ。(AnsibleはWindowsサーバの環境構築も可能だが、管理用のPCは*nixしか使えない)

ssh使えるし、ちょっとサーバにログインしてログを読んだり、設定ファイルを微調整……的な使い方には向いているはず。

今、一番気にしている問題は、bashとの窓口となる端末アプリが貧弱なこと。コマンドプロンプトの強化版といったところで、カーソルキーが使えない場面があったり(Vimmerにはおなじみのjkで上下移動)、日本語入力ができなかったり。流し見にPageUp、PageDownを使う勢なので、これらのキーが使えないのも。あとコピペがお察し。

2016年6月11日土曜日

How do I do?

「あれ?今、何しようとしてたんだっけ?」という疑問が頭をよぎることがある。
それとは別に「ロボットにこういう処理をさせたいんだけど、どう書けば?」という疑問が頭をよぎることもある。
前者は現在の科学力ではいかんともしがたいが、後者については藁をもつかむ気持ちで試しておきたい手立てが無いわけでもない。

https://github.com/gleitz/howdoi

howdoiは、たまたま、……ホンのたまたま、お決まりのプログラム表現をド忘れしてしまった年寄りプログラマのためのツールである。
英文っぽく、やりたいことと今利用中のプログラム言語をパラメータとして与えると、インターネッツ(基本、StackOverflow)からなんとなくそれっぽいプログラムの断片を探し出してくれる……かもしれないツールである。


howdoi自体はコマンドラインからの実行を想定したものである。が、厨学二年生のためのエディタ、Vimから利用するためのプラグインも公開されている。

https://github.com/laurentgoudet/vim-howdoi
https://github.com/isovector/vim-howdoi

前者のURLは、外国のオッサンが作ったオリジナル。
その次のものは、そのオリジナルをまた別の外国のオッサンが魔改造したものだ。
オリジナルのvim-howdoiは、機能を利用するためのキー割当が固定で、かつその固定された割当が他のユーザが便利に使っている機能と被っていたのがイマイチとされていた。それを他のキー割当が可能になるように改造されたのである。

ここまでくれば至れり尽くせり……と思っていたが、私自身が利用するにはまだ足りなかった。

私はプログラム言語としてPythonをよく利用する。イチから書くときは最新バージョンのPython3系を利用するが、他方既存のツールはまだPython3に対応しておらず、1つ前のメジャーバージョンであるPython2系のままなのも多い。(こちらもこちらでセキュリティ維持他の理由でバージョンアップが続いている。だから、なかなか乗り換えが進まない)
howdoi自体はPython2, Python3どちらでも動作するが、問題はVim。
Python2系、Python3系、Vimは両方の環境と連携できるのだが、1回の起動で片方と連携してしまうと、もう片方とは連携できなくなる。複数のプラグインがそれぞれ片方のバージョンにしか対応していないと、後から適用した方がエラーになる。なった。困った。

vim-howdoiが利用しているPythonのバージョンは2だった。
Pythonバージョンを2に揃えてしまおうか……。
いや、ダメだ。自分で書いたプログラムは多くがPython3系だ。エディタの、かつオフィシャルでない付加機能のためだけに、それらを巻き戻すのは辛すぎる。
また、自宅PCから間借りしているVPSまで、複数の環境を持っていて、Vim自体の対応Pythonバージョンも様々だ。

改めて考えてみれば、howdoi自体はPython2, Python3の両方に対応している。しかも外部コマンドとして実行するので、VimのPythonインターフェースはそもそも不要だ。
結局、さらにもう一人の外国のオッサン、つまり自分でPython依存部分をVimScriptで書き直すことにした。

https://github.com/morinatsu/vim-howdoi/tree/repure

とりあえず動いてはいるようだ。
もうちょっと、元のvim-howdoiの挙動に近づけたいし、エラーハンドリングとかもやりたいなぁ。
そうしたら、fork元にPull Request送って、取り込んでもらいたいなぁ。

……と思ったら、このソフトウェア、公衆便所ライセンス(WTFPLv2 License)だ..... orz