2021年2月27日土曜日

羽田から世界へ…行かずに大田区へ

海老取川にかかる弁天橋 。

橋の向こうは羽田空港。左手に見えるのは羽田イノベーションシティ。

弁天橋の欄干には、かつてこの辺りで盛んに行われていた海苔の養殖の各工程が描かれたパネルが飾られていた。

そして、橋の傍らには、散策コースの案内パネルが。「武蔵野の路」初めて聞く名だ。
東京都の全域にまたがって、複数の散策路が設定されていて、ここは六郷コース(多摩川の土手を回る)と大井・羽田コース(羽田空港を囲む人工島を回る)の結節点だった。いつかはあなたの住む街へ行くかもしれません。

橋を(もちろん歩いて)渡って、空港島に入ってみる。

京急と東京モノレールの乗換駅である天空橋駅(地下)。その傍らには「旧三町顕彰の碑」がある。戦争準備のために、空襲で、駐留軍のため、戦後の復興のため、拡張されたり戦災に遭ったりした羽田空港。この地区に元々住んでおり、移転させられていった人々のことを伝える碑だ。

じゃぁ次は、羽田イノベーションシティ。空港ターミナルの跡地を利用して建設、2022年のグランドオープンを目指して、プレオープン!……した矢先にコロナ禍に見舞われた。世界の随所でよくある話の大田区版。
2階のデッキから。建物のあちこちから空港が、飛行機が見える!というのが、この施設の売りだ。(たぶん)

これこれ、「ハローマイワールド わたしたちは細胞でできている展」。理化学研究所監修のコンテンツだ。

あれ?この建物、平日しか開かないのか。じゃぁ、この展示を見に来れるのは一体どういう……。考えてみると、飲食店しかオープンしていないように見えたこの建物。では、タリーズでお茶飲んでいた人たちは一体何をしに。
私の見逃している情報があるのだろう。う~ん。でも、他の客に「Youは何しにHanedaへ?」と聞いて回るのもアレだしなぁ。

自動運転バス。もちろん構内にコースが限られており、実用よりもデモンストレーションのためのものだ。たぶん。乗り場も見かけたが、乗車列が出来ていたので遠慮。

屋上の足湯は機能していた。


足湯もそうだが、空港が見える展望の場所にもなっており、割と人が集まってくるポイントになっていた。(密度の高さは、飲食店が一番だったが)

シティを出たところには、「ソラムナード」。癒しを求める都会人?のために整備中の緑地だ。(南東京の自治体、何かにつけて「プロムナード」言いたい感ある)

金属製の柵の向こう側なんで、分かりにくいが「赤レンガ堤防」を模したものがある。
休憩スペースの屋根と柱は、一見、立ち並ぶ鳥居の姿を模したものにも見える。(が、区内の全然関係ない場所でも同じものを見かけたので却下)

羽田の島から、今度は別の「穴守橋」を通って、海老取川を渡る。

穴守橋は飛行機フィーチャー。

橋を降りて右(北)方向の岸は、遊歩道・公園として整備されており、ここが「武蔵野の路 大井・羽田コース」だ。


あさひ海老取川公園から、ヤマト運輸のクロノゲートの裏手を見たところ。クロネコだからクロノゲートなのだろうが、英語表記の「CHRONO GATE(時を超える門)」というのもSFっぽい情緒があっていい。
ヤマトに限らず、日本各地へ翌日配達がデフォルトという輸送・物流網は、昔の人間にとっては、時を超える魔法だ。(それらの構築にかかってきた総費用・資源も、昔の人間の想像の埒外だろうが)

三菱不動産が、集合工場・倉庫として売り出し中のビル。外壁の引っかかりみたいなものは騒音対策なんだろうか。掃除しにくそうだし、さすがにただの飾りとしては、めんどくさいデザインだと思うのだけど。

東京都下水道局の東糀谷ポンプ所。「がんばっています!」と書かれていても、ポンプ所が何をするところか知らないと。

帰宅後に調べたところによると。下水は、長い長い下水道を勾配によって、重力の作用で流れてくる。が、あまりに経路が長すぎる。海や川の底より下水道が低い場所になると、自然の水に返せなくなってしまうので、途中や終端で低所から高所に、人工の動力で水を引き上げる必要が出てくるのだ。雨の日は大量の雨水を引き上げる必要があるので、特に頑張る必要がある。(でないと、街中に雨水があふれてしまう)

解説版の左下には、このポンプ所がカバーする範囲が描かれており、以前訪れた蛇崩川(蛇崩川幹線)もその中に入っている。


東糀谷ポンプ所から橋1つ隔てたところに、雨水貯留地という建物があった。しかし、天から見下ろすGoogleマップからは、この建物の屋上にある「海老取川公園」しか見えない。たまたま通りがからなかったら、きっと一生知ることがなかった場所だ。
で、その屋上の公園も周囲を別の建物に覆われている都合で、臨海的な景観とかはない。もちろん、子供の遊び場としては機能も十分なので、「公園」の名は間違いでも嘘でもないのだけど。

海老取川公園≒東糀谷ポンプ所雨水貯留地から、さらに北上するともう呑川だ。ここまで来ると「羽田」の名を冠する看板がめっきり減ってくる。

その呑川では補強工事の真っ最中。念のため言っておくと、ゴジラの再度の襲撃に備えてのものだ。

呑川沿いで何度も見かける「呑川緑道」(当然か)。その傍らには、またしても「武蔵野の路」が。

バブル華やかなりしころ、増大する一方の首都高羽田線の交通量を分散し、渋滞を解消するための迂回路が設けられた。しかし、新しく海底トンネルを掘る余裕のある場所などなく、大型船が通る場所であるために橋を架けることも困難。そもそも、橋を架けられないからこそのトンネルだった。

結局、選ばれたのは、大型船が通るときのみ道路を旋回させる「旋回橋方式」。

自分が車乗らないから感覚で掴めないけど、広さは1車線分だろうか。完成直後にバブルははじけ、羽田空港の交通量も減少。さらにその後、陸路の主役も首都高湾岸線に移り、1998年に利用終了。

また動かぬものを撮ってしまった。

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