コロナ禍も全然落ち着く気配がないので、あきらめて帰省することにした。
帰省と言えば、過去にも『ダーク帰省』という記事を書いていた。「あれから10年か……」と思ったが、2016年の夏だったので、まだ7年経っていない。記憶というのは当てにならないものだ。
東京駅や仙台駅の混雑はコロナに良さそうなので、上野-福島間で新幹線に乗る。東京駅の混雑はコロナ以前から風邪の原因と疑ってきた。今にして思えばマスクをしていれば避けられたのかもしれない。
荒川を越える。コロナによる外出制限の下、近所の寺社・川・用水路などを歩きまわった。以前は「田舎の風景」の一言でまとめられていたものが新鮮に感じられる。いちいち地図で名を確かめ、水の流れの方向を見定めようとしてしまう。
駅を観ているだけで時間が経ってしまう。いいかげん外に出ないと。
中学生~高校生の頃の福島駅前の中心地、コルニエツタヤというファッションビルが建っていたところは、紆余曲折を経て福島県立医大の建物になっていた。ファッションビルとはいえ、私の目的のテナントは岩瀬書店だったが。本屋で開催されるイベント(若手の声優のサイン会)というのが目新しく、ここは文化の発信地であるとみなしていた。
……とはいえ、宮城から県境を越えて福島まで自力で頻繁に通うような財力は無かったので、情報を事前に知ることもなく、それらイベントにはとうとう参加できずに終わった。
駅前商店街の片側が丸々工事中だったが、前述の辰巳屋ビル含めて、全体を1つの施設に統合するようだ。駅前が寂れて、バイパス中心の、移動に車が必須の地域になると、子どもや老人が自由を奪われてしまうので、頑張って欲しいところ。(と考えると、駅前にでっかいビル建てたのは医大の英断と言えるか)
除染情報プラザは「環境再生プラザ」と名を変えていた。(福島県&環境省の施設。同じものだよね?)
かつての除染情報プラザでは、県内各地の除染作業の進捗がマジックで手書きされ、「日々更新される最新情報」という雰囲気に満ちていた。環境再生プラザは、腰を据えて福島県内の復興への取り組みを紹介するもののようだ。
展示を見るに、問題は消えてなくなったわけではなく、今の主な関心事は中間貯蔵施設になるようだ。
かつての除染情報プラザでは、県内各地の除染作業の進捗がマジックで手書きされ、「日々更新される最新情報」という雰囲気に満ちていた。環境再生プラザは、腰を据えて福島県内の復興への取り組みを紹介するもののようだ。
展示を見るに、問題は消えてなくなったわけではなく、今の主な関心事は中間貯蔵施設になるようだ。
東北本線沿線の川とか諸々を見て帰りたくなったので、日が落ちる前に電車に。
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