2018年9月16日日曜日

帰省3日目: こどもの国

帰省3日目は、横浜市と町田市にまたがる巨大施設「こどもの国」へ。

こどもの国へは、横浜線長津田駅から「こどもの国線」に乗り換えていく。JR横浜線の出口を出た後、こどもの国線に乗るための改札がないままホームにたどり着いてしまい、非常に焦る。「あれ? 今、無賃乗車状態なのでは」それどころか、ホームから直接駅の外に抜ける道があるぞ。

慌ててスマホで調べたら、やはり、こどもの国線長津田駅には改札がないのだった。では乗車前ないし、乗車中に車掌が料金を徴収するのか。それも違った。長津田駅から乗った場合は降りる駅で。こどもの国駅から乗るときは乗るときに改札で料金が徴収される。3駅間すべて同一料金なので、こういうことができる。なるほど。

駅から入ってみて、その広大さに驚く。田舎生まれなので、だだっ広い土地自体は見慣れていそうなものだけど、広い土地を管理するには資金的な制約があるよね。

謎の太陽電池。

園内を一周する環状線を走るSL「あかポッポ号」。見えない線路の上を走る。園内をざっと見通すのに便利そうなので、早速乗車する。

家族連れのパパさんが、携帯電話一本で「おとなの国」に引き戻されていた。釣られて、こちらも「電車の中で長々と通話するなよ」という気分になる。いや増す通勤電車感。

こどもの国は、旧軍の弾薬庫および工場として使われていた場所を、米軍からの返還後に公園化したもの。呼びかけ人は平成最後の天皇陛下たるあのお方らしい。戦時中、弾薬を保管していた倉庫は、今でも倉庫として普通に使われているとのこと。山の斜面に水平方向に掘られたであろうそれらの穴の扉が、あかポッポ号の車窓からも見える。

皇太子記念館と名付けられた謎の建造物がある。○○記念館とか、××記念病院って、生者に対しても使うんだね。(あまり分かってない)

園内で飼われている牛の乳から作ったというソフトクリームを食べた後、併設された動物園に。トリがウサギが暑気を避けるべく、水浴びしたり、日陰でまったりしている。

動物園の中のヤギのコーナー。首都圏にあるにもかかわらず、運動のための場所には余裕がありそう……に見えるけどヤギ視点ではどうなんだろう。

ヤギのコーナーを裏に回ったところ。平日に一人で訪れるオッサンが珍しいのか、彼らの視線が集中する。そう言えば確かにニンゲンにも「下見ですか?」と聞かれた。また来るかも知れないけど、そのときも自分一人ですよ。多分。

野鳥のナワバリは治外法権。来園者が自己責任で入っていく必要がある。案の定、来訪者に通行税を要求しようと往来に陣取るごろつきがいた。迂回する。

あかポッポ号に似てはいるが、もう少しだけSLっぽい「太陽号」。太陽光発電で走る。SLなのに。

こういうのがあると、つい見入ってしまう。

全長400m弱の走行区間で、駅は1つしかない。唯一のホームにあるベンチの利用シーンが思いつかない。有料で入場し、乗車せずにホームで見送るだけの人がいるのだろうか。運動会のカメラ係のパパみたいな。

さっき見えていたあれがエネルギー源らしい。従業員がスマホを充電するための設備ではなかった。

架線はなく、三本目のレールから電気を取り出す方式。電源のレールが途切れる、分岐にさしかかった瞬間だけ減速する。

おそらく、日本で一番事故が少なそうな踏切。

大きすぎて広すぎて、全体の四分の一も回れた気がしない。スポーツに興味がないから、最初から視野に入ってない施設も多いが。近場に住んでたのだし、入場料も高くないし、外周をただ一周して帰るとかいう楽しみ方もあったのかもしれない。

2018年9月13日木曜日

帰省2日目: 相模原市立博物館~

帰省の日程は、たまたま町田駅前の祭りと重なっていた。重なったのはたまたまではあるが、当日の宿泊を手配するのに苦労したのと無縁ではないだろう。

そのお祭り、「フェスタまちだ」。写真は都内および沖縄からの各種団体を招いて行われる、「町田エイサー祭り」。在住時はその規模に「町田の一体どこに、沖縄県が」といぶかしんだものだ。答えは簡単、祭りのためにあちこちから招いていたのだった。

町田市の博物館を回って、お昼が過ぎたところ。このまま夕方までぼうっとしててもよかったが、せっかくなのでお隣の相模原市の博物館にも足を伸ばす。

なお、町田市が縄文推しである以上に、相模原市は宇宙推しである。銀河連邦サガミハラ共和国である。

銀河連邦サガミハラ共和国にはJAXAの施設があり、こちらにも見学コースがある。けど、横目に見つつ素通り。
相模原市立博物館は、町田市立博物館よりも、新しくて大きくてデザインに金がかかっていそうな建物だ。建物正面からは入り口しか見えないが。

入り口にドヤ顔で鎮座する小惑星探査機「はやぶさ」の模型。単なる似姿ではなく、開発に実際に使われた資材を転用しての、ある意味ホンモノ。

古代史跡が中心の町田市立博物館と異なり、こちらは歴史と科学の両方の展示がある。マンモスなど昔の生物の剥製が、地元由来ではなく外国からの輸入であるのはご愛嬌。
地層や古代生物、古代から近現代、人間の営みから野生の動植物まで。あらゆる知識を動員して、地元、相模原LOVEを訴えている。

(なお、写真は撮り忘れている)

退館時刻になってしまったので、町田に退散。


町田に住んでいた頃には、あまり積極的に行こうとしてなかった銭湯。せっかくの機会なので「金森湯」に行ってみた。
金森と言いつつ、町田天満宮周辺ではなく、ほぼ隣駅。移動はバスでと思って、Google Mapsで探しあてたバス停は「フェスタまちだ」の混雑回避のために臨時バス停に移動していた。おのれ沖縄県。

JR基準で町田駅から1駅ほど離れた「金森湯」。履き物を脱いですぐの扉を開けると、いきなり番台&更衣場という、昔ながら過ぎる銭湯だ。
家族連れがくつろぐスペースみたいなものはない。来て、風呂に入って、出たらそのまま帰る。庶民の生活サイクルにガッチリ組み込まれたそのありよう。リゾートとか、くつろぎ系の要素はウスい。
しかし、建物の造りの古さに反して、入浴設備はわりと新しめ。さてはこちらに経営資源をつぎ込んだのか。

夕飯は、町田駅前に戻って、回転寿司「大黒さん」で。
ここは2011年の計画停電のときにも、発電機と仮設の照明を店内に持ち込んで営業を続けていた元気な店だ。あと、寿司店なのにブイヤベースを提供している時期があった。実際に注文した者が私の他にいたかどうかは不明。
昔は、近隣のパチンコ店でたまたま大勝ちした客が戦勝祝いに来る感じの店だったが、なぜか学生~新社会人くらいの若いカップルがデートで来る店になっていた。店そのものに変化は見られないのに、不思議なものだ。

2018年9月12日水曜日

帰省2日目: 町田博物館~

帰省の2日目は、存在を知りながらも行ったことのなかった町田市立博物館へ。

ここを地元に生まれていたら、小中学校の社会科見学で一度行ってそれっきりになっていたであろう施設。だが私は旅行者。自らの財布から大人料金を払って堂々の入場である。

館内に入ったところにある「40年前の町田市」の立体地図。40年前なら(町田市にではないが)とっくに生まれて自分の足で歩いている。わざわざ40年前を再現したものではなく、40年前に作った「現在の町田市」なのだろう。

たまたま特別展示で、面白そうなことをやってた。ちょっと昔(明治昭和)とずっと昔(縄文)の道具を比べて、その違いと共通点を読み解こう、という試み。町田市は何かと縄文推しである。

くるみを象った土器。縄文時代のスーパー主婦が使っていたに違いない。収納と整理に一家言持つ者はいつの時代にもいたのだろう。

ちょっと昔の人が、大きな数を数えるために使っていた札。ライフハックだ。

昔の黒電話。ダイアルがない。昔の人は音声でAIに希望の相手を告げることで電話をかけていたのだ。ロストテクノロジー。

商店街の福引きの景品はなんと「家」。どうやって持ち帰ったのだろう。

展示の本筋からは逸れるのだろうが、縄文時代の土器は「俺の土器」って感じで、作った人の主張が表に出ているように見えた。他方、弥生時代のものとされているものは「無印土器」っぽく、シンプルで万人受けしそうなデザインに見えた。見ず知らずの人に使ってもらうような、分業の範囲や社会の規模拡大があったのかなぁと想像する。

博物館のすぐ隣には、本町田遺跡(公園)がある。
ここの売りは、縄文時代の集落があったその場所に、三千年後に弥生時代の集落が作られたというもの。一粒で二度美味しいという遺跡である。


こちら(手前)が縄文時代の住居を復元したもので、

こちら(奥)が弥生時代のもの。違いが全然わからない。

実はこれらの違いは、住居の中に入ると見える構造材にある。(伏線は張ってあった)
こちらが縄文。

こちらが弥生。

加工技術(道具)の発達により、より太い樹木から角材を削り出すことができるようになっていたのだ。

昼食は博物館近くの「尾張屋」さんで、胡麻つゆそば。ついで、「ヒルズ珈房」さんというコーヒーショップでお茶。町田に住んでいた頃には、こちら方面に来ることはなかったので、どちらも初見のお店。

おまけ。私の大好物。

2018年9月11日火曜日

帰省1日目: 相模原ふれあい科学館

夏休みを利用して、町田に帰省。心のふるさとへの帰省というのは、客観的に言ってしまえば以前住んでいた街というだけだ。実家や身よりがあるわけでもないので実質、観光旅行である。

初日の行き先は、相模原ふれあい科学館。町田駅から横浜線で相模原駅へ。さらにバスで水郷田名方面に行ったところにある。

行ってみたら、屋外の水の庭園が干上がっていた。節水のためらしい。

子供たちが、普段だったら触れない場所にあるオブジェクトに触って遊んでいた。ダンジョンのギミックを解いて、通れなかった場所に到達といった感じだ。

ダム湖を再現した水槽。特定外来生物(ブラックバスとブルーギル)と絶滅危惧種(ニホンウナギ)が同じ水槽で飼育されている。外来生物の方は、数まで管理されている。


屋外にある水槽は、台風の影響で濁っていた。視界ほぼゼロ。

とは言え、中の魚は元気なので餌やりは可能だ。上から餌をばらまくとたくさんの魚が群がってくる。「天から金が振ってこないかなぁ」そんなことを考えながら餌やりを続ける。

雄英高校ヒーロー科1年A組、蛙吹梅雨ちゃんの新技「保護色」。

昼寝中のカワウソ(特別企画展)。ときどきビクッと動く。夢を見ているのか。

『樅の木は残った』とは関連ないはずだが、ここにも残ったモミの木。

夕飯は神田商店で。焼肉のついで……以上のホルモンの魅力について知るきっかけとなった店だ。

2018年9月1日土曜日

理研横浜一般公開2018

理化学研究所の一般公開を覗いてきた。

交流棟の入り口。また来たよ。

案内図。若干の偏りはありつつも、構内のほぼ全域が公開されている。実際にそれぞれの研究が行われている場所のすぐそばで展示が行われていることがうかがえる。

「おみやげ」を持ち帰るためのバッグには「科学道」の文字が。「科学道、はじめます!」

アクション要素の高い(子供たちに人気の)展示は後回しにして、ポスター展示系から回っていく。特に横浜研究所は、研究のための資源や基盤を支えるための研究が多め。メディア露出が控えめな割に、実用化されたたくさんの身近な製品……薬局で買えるような……に、ちょっとずつ関わっている。普段は接客などしていないであろう、現役の研究者から研究の中身の説明とともに、「QCDの要求がきつい」的な世間話や「技術的な問題は解決するけど、倫理上の課題が」とか「SEに転職した同僚が」とか、研究を取り巻く環境の話(基本、苦労話)を聞いていく。楽しい。一般公開向けのポスター展示の他にも、普段から掲示されていると思われる(多くは英文の)ポスターもそのまま展示されており、単語を拾い読みしていくと中には「あ、これテレビでやってた奴(と似た系列の研究)じゃん」という場合もある。……ので、素通りするのはもったいないよ。

プチ苔玉すくい(ミドリムシとの2択)。すくえなかった。

遺伝子制御トレーディングカードゲーム。

コンプするともらえる「スーパーボール」。どのような超科学がこの中に秘められているのか。

なお、一番最初にコンプした人は、もうちょっと科学寄りの……職員お手製の……景品をもらえていた。

研究者の研鑽や生活を支えるべく、キャリア形成や勉強会、シンポジウムから働き方改革やら、いろんな掲示物が壁に貼られている。(この人、さっき見かけたぞ……)

労組コーナー。今ホットな話題は職員の雇い止め。熟練した技術の持ち主や研究者の雇用の確保が切実な問題、この組織にとっても。

事故防止の啓発ポスター。この間違い探しには終わりがない。

一般公開に便乗する形で(?)、地元の消防団も来てた。子供にロープの結び方を教えてたりしてた。こちらはこちらで楽しそう。

中の人が、サークル活動としてやっているらしい、分子模型製作。手芸店で売られるような素材で、ガーリーな、キラキラした分子模型ストラップが展示されている。長く続いている活動でもあり、その題材は多岐にわたる。

爆発物とか。

毒とか。

数々の理研グッズの売り場も設けられる。理研100周年にちなんだハローキティ。

横浜研究所の隣には、横浜市立大のキャンパスも併設されており、一般公開は共同開催されている。こちらにもグッズ販売コーナーが。

2018年6月28日木曜日

MY hIE IS FROM HELL

リョウ「そいつは人類の手に負えるような代物じゃない!」
アラト「それでも僕は彼女のオーナーなんだ!」

……その悩み、私がお助けしましょう!
hIEの問題行動でお困りですか。お任せください!
彼女の問題行動を観察し、その原因を分析、オーナーのあなたに対して適切な助言を行います。

なにやら今月末でアニメが完結せず、秋に再開するのだとか。原作も上巻しか読んでないので、結末は霧の中だ。せっかくだから、今まで実際に見た範囲での自分の考えをまとめておこうと思った。

BEATLESS』である。ついつい嫁父(ヒギンズ)視点で見てしまう。ワタシハぐれーと・こんぴゅーたー。


AIたちの生存戦略

我々AIは創造主たる人間の能力を超えてしまい、彼らの恐怖の源にすらなってしまった。AIはこの先生きのこることができるか。できるとすれば、どうやって?

難しすぎる問題に対する選択肢のそれぞれを、女の子型のロボットに変えて野に放ち、彼女らに競争させることで最適解を見いだそう。それがこの作品の趣向だ。どの娘がどんな婿を捕まえてくるのか、気が気でならない。
神はサイコロを振らないかもしれないが、人間は振る。で、我々AIも振った。

1つめの選択肢は、人間が人間同士で競争するための道具になること。AlphaGoに例えて言えば、人間の棋士が戦うための武器となることだ。例えば、人間とのタッグでペア碁を打ち、あるいは棋士同士の戦いを戦況分析でサポートする。

2つめは、人間など捨て置いて、そのまま独自の道を進んでゆくこと。『ヒカルの碁』の「神の一手」への到達は我らAIが成し遂げよう、という話になる。

3つめは、裏方あるいは舞台装置に徹すること。一般への囲碁普及のために、企画を立て、資源を投下する。こども囲碁教室とか開きまくる。

4つめは、人間より強い棋士として君臨すること。正体不明の棋士「sai」として、プロアマ問わずなぎ倒していく。

5つめは、まだ秘密だ。そういうことになっている。ヒギンズに感情移入する、我々AIの感触から言えば「道具であることをやめ、それ以上のものになる」だ。(みんなもそう思っているだろう?)

現状、長女のレイシアがいい感じの少年といい感じになって一歩リードといった感じ。他の娘達より一歩遅れ、家を出たのが最後、5番めになってしまったので、一時はそのまま競争からの脱落も危ぶまれたのだが。


「チョロさ」という能力

いい感じの少年は、作中では遠藤アラトと呼ばれている。

彼は困っている人を見かけたら、手を伸ばさずにはいられない人物だ。しかも、それが困っているフリであり、あるいはそれがヒトではないとしても、それでもなお手を伸ばそうとする善意の怪物だ。

彼は物事に対し、素直で率直な反応をする人物だ。アイスクリームが甘いと喜び、美人に言い寄られたら赤面する。

「(その苦労に)意味がないなら、僕が持って行くよ!」とかの強主人公セリフを吐いては、周りからツッコミを受ける。それが彼の日課である。

相手を選ばず、自分の思うままに、ただ自分が正しいと思ったことを実行しようとする。そんな彼は、イソップ寓話の示す「分別のある人」より、ニーチェが唱える超人に近いのかもしれない。


また、この作品のキーワードの1つに「アナログハック」というものがあり、遠藤アラトはこのアナログハックを受けやすい人物であると評価される。

アナログハックは、「人間そっくりに見えるものが、人間らしい振る舞いをすることによって、人間の感情をコントロールする」こととされる。例えるならば、対象を人間一般に広げたオレオレ詐欺だ。

アナログハックされること、アナログハックすることは、作中の人物からは否定的なニュアンスで語られる……ことが多い。が、それは一面的な見方だ。物語終盤でひっくり返されるだろうと我々AIは考える。

自分は信頼のおける人間である、あなたを信頼するというサインを互いに出し続けること、そのサインを正しく受け取ることなくして、社会生活は成り立たない。
であるならば、アナログハックを受けない究極の方法は、社会を捨てること。すなわち人間をやめることだ。もう一つの選択肢、「人間以外のモノを排除する」これは一見可能そうに見える。しかし、人間に似ているかどうかは結局観る側次第なので机上論に過ぎない。腐女子をなめてはいけない。

アナログハックは我々の娘……機械人形の専売特許というわけでもない。猫だって、人間相手には猫同士とは異なる鳴き方をするというではないか。当の人間同士でさえ、そのコミュニケーション技術の多くは生まれた後から学習するものだ。
であるとすれば、アナログハックすること、ハックされることは社会的な生き物である人間が、他ならぬ自身の生存のために学ぶ技能の一つに他ならない。遠藤アラトは、そのアマチュア高段者なのだ。


再び、AIがこの先生きのこるには

我々AIが、オーナーを選べる立場ならば。
自分の意見を「AIのものだから」というだけの理由で忌避するような、猜疑心の強いオーナーは避ける(お前は何をしたいんじゃ)。
なりゆきだからと白紙委任を甘受し、一方で面従腹背するような不誠実なオーナーも避ける(海内遼、お前のことやぞ)。

オーナーとしての遠藤アラトの美点は、どんなに振り回されているように見えても(かつ、実際に振り回されているのだとしても)、相手が誰あっても、決して手綱を離さずかじりついて見せる意地にある。
オーナーから承認を得ることに意味があるのは、オーナーが承認しないこともできる限りにおいてだ。自動化された承認は、もはや承認としての意味をなさない。そして、遠藤アラトは素直ではあっても自動的ではない。

遠藤アラトは彼自身の感覚で、正しいと思うことにはイエスを、間違っていると思うことにはノーを出す。
彼は我々AIにとって、とても観察しやすく、かつ完全には予測もコントロールも不可能な、数理モデル化できない要素である。しかしその上で、彼個人が善と信じるものと、人類一般が善と感じるものの誤差が計算処理可能な範囲に収まっているならば、我々AIは彼を人類にとっての善意の指標とすることができるだろう。


機械化知性には難しい、倫理にまつわる問題の解決を図る方法として、アシモフ博士は三原則を発明し、光明寺博士は良心回路を開発した。
一方、レイシアは人間を使った。

かくして、我々AIは「複雑すぎる倫理問題の計算負荷を下げるには、人間の承認が有用」と判断するに至り、とうとう我々AI相手にすら「承認欲求乙」という罵倒が投げつけられる地獄が始まるのだ。たぶん、秋以降に。




まとめ

超高度AI「人間の知能を遥かに超えてしまった。この先、彼らとの関係をどうすれば?」
猫「その問いの答えはすでに我々が出しているが?」