春のうららの隅田川。もう5日め。
両国大橋(桁橋)。首都高なので、徒歩で立ち入れないのが残念。土木学会を受賞した橋梁らしい。下にある堅川水門を遮る場所に橋桁を立てることができないので、上の橋から下の橋を吊り下げるというアイデアが評価されたらしい。写真を拡大すると、それらしいワイヤーが見える。
池の中をカメが泳いでいた。都内の庭園を幾つか見ているが、カメを飼っているところは初めて見た。他に日光浴をしているものもいて、やはり珍しいのか、特にカメ好きとも思われない客たちも皆、そののんびりした様子をカメラに収めていた。
ちょっと1周、寄り道と思って、その通りに1周しただけだが、それでも満足感高かった。鳥が多かったからだろう。ここはまた来たい。
清澄公園の南側から隅田川に戻る経路には仙台堀川が流れている。その名前はここに仙台藩の深川蔵屋敷があったことに由来するとのこと(仙台市による)。
で、その蔵屋敷の跡地にあるアサノコンクリート深川工場は、日本で初めてセメント製造を始めた場所らしい。
で、その蔵屋敷の跡地にあるアサノコンクリート深川工場は、日本で初めてセメント製造を始めた場所らしい。
仙台堀川を隅田川方向に向かって進むと、清澄排水機場の水門らしきものが。なんかゲートみたいなものがあるとわかりやすいのだけど。…と思って、隅田川テラスに降りてみたら。裏にはバッチリ、ローラーゲートっぽいのが。
資料館の中は撮影禁止(禁止でないものもあるが、ネット等での公開不可)とのこと。
資料館は、会社の設立前から今に至るまでの、会社とこの地域の歴史資料を集め、展示しているもの。やはりこの島(というか、埋立地なので「この周辺」)、石川島というところまでは外れていなかったよう。
無人島だったところが石川氏の屋敷になり、石川島と呼ばれるようになり、埋め立てが進むに従って、佃島と陸続きに…といった経緯は、資料館配布のパンフに詳しい。郷土博物館を求めていた私の希望はほぼ叶えられた。
高度成長期当時の工場労働者の生活を伝える展示も良い。
あと、関宿城博物館で見た「通運丸」。石川島平野造船所によって作られたもので、こちらには造船のようすの模型が展示されていた。
この「何かつながった感」、フィクションの伏線回収っぽい高揚がある。
その石川島資料館で、地元の祭(佃祭り)のメイン会場として触れられていた住吉神社。
『江戸前エルフ』はこの周辺の話なんだよなぁ、とか思い出しながら参拝。
(浅草同様、月島もんじゃストリートもスルーしたけど)
『江戸前エルフ』はこの周辺の話なんだよなぁ、とか思い出しながら参拝。
(浅草同様、月島もんじゃストリートもスルーしたけど)
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