2024年3月14日木曜日

神田川 (5)

正月休みから、神田川を歩いてきて、5日め。そろそろ終点、隅田川との合流地点までたどり着きたいところ。

江戸川公園の西側出口、江戸川橋から再開。いきなり分水路の取水口が見える。江戸川橋分水路だ。分水路の入口は一段高くなっており、水深が一定以上になると、分水路にも川の水が流れ込む仕掛けだ。

分水路には徒歩で入れないので、開渠部分を歩き進める。

氾濫時に川の水を止めるための扉。都市河川は幾つか歩いてきたが、今までこういう仕掛けに気づいたことがなかった。上の写真がヒントになるか。

橋のある部分が、堤防の切れ目になっているのだ。この扉が必要ない橋は、橋のたもとが堤防の高さまでかさ上げされており、川面から見た時の堤防に切れ目がない。(か、あるいは堤防自体の高さに余裕がある)
この橋がかさ上げされず、こんな面倒くさい仕掛けが入り用になっているのは、周囲の道路事情がそれを許さなかったからだろう。


この屋根、商店街のアーケードではない。首都高池袋線だ。「青空が見えないから首都高を地下化しよう」という再開発計画を立てている地域もあるが、私は屋根があった方がうれしいタイプ。

せっかく神田川沿いを歩くのならと、立ち寄るつもりの場所があった。TOPPAする会社、TOPPANの「印刷博物館」だ。

古代エジプトとか奈良時代とか、いきなり「印刷」そのものの歴史から展示が始まる。企業博物館としてはオーバーなくらいの視点と視野がある。

1cm以下、最小のものは0.x mmという微小本、マイクロブック。同社の最先端の技術と職人芸との合わせ技。金属・プラスチック等ではなく、紙という素材への印刷でもここまでやる。印刷で、他に後れを取ることはできないという同社の矜持を示すものか。

活字と木版のメリデメ表。木版から活字へは一方通行の進化という先入観があったので、驚きがあった。

ガリ版とプリントゴッコ。「懐かしい」と言える年齢。
ここは「懐かしさ」を感じさせる展示ではなく、凸凹平孔といった、製版方法などを整理したコーナー。私自身が一番感銘を受けた展示だ。

「印刷だけの会社ではない」と盛んにCMを流す昨今のTOPPAN。いつか「印刷の会社でなくなってしまっても」この博物館は残して欲しい。


オバケみたいな、飯田橋歩道橋。神田川が皇居の外堀と接する場所にある。外堀も見たかったのだが、ここからは地上構造物の陰に隠れて見えなかった。

一瞬、将門の首塚が案内されているのかと思って二度見した標識。

こちらは神田川から右側へ、日本橋川が分岐していくところ。艀のような船にゴミが積まれる。江戸時代以来の水運が続いている。いや、続いているのかは分からないけど、今でも使われている。

小石川後楽園。

日本庭園にはシュロの木が似合う。

寝覚滝。ホンモノ(寝覚の床)は長野県。

木曽川。ホンモノは長野県。

隣は東京ドーム。デカい。東京ドーム4つ分の大きさくらいあるのではないか。

枯滝。東京名物「水の出ない噴水」……というわけではなく、もともと水を流さない趣向で作られたもののようだ。

お茶あったけど、あえてコーヒーを選んでみた。その名も将軍珈琲。『ガルパン』劇中登場&コラボで一気に(自分の中での)存在感があがったSAZA COFFEEの製品。
お茶はともかく、最近、市民の義務(ビール)を果たしていない。そこは反省点である。

こちらは白糸の滝。ホンモノは…白糸の滝というのは日本各地にあるけど、たぶん長野県軽井沢町のもの。

神田上水の跡。これはおそらくホンモノ。

神田上水を離れて、再び神田川へ。水道橋の左岸下流に謎の構造物。

謎の構造物の正体はお茶の水分水路。江戸川橋から、つまり今日歩いてきた経路ほとんど分水路の上だった。

かつてメイドたちが抗争を繰り広げた暴力の町、秋葉原。万世橋(下の謎のスペース)もその舞台となった場所の1つ。

秋葉原を抜けると、屋形船が両岸に並び始める。

以前、隅田川を歩いたときに立ち寄った柳橋から。向こうに両国橋が見える。もう河口。

隅田川に合流。というわけで、神田川を歩くのは今日まで。

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