2023年12月30日土曜日

特別展「和食」

国立科学博物館の特別展、大がかりなものが増えてきて、それだけ観客動員数も多く、休日に見に行くのは辛いものになってしまった。展示は満点なのだが、体験としては最低に近い。

よって、やはり無理してでも平日に休暇取って見に行こう、ということにした。無責任サラリーマン、かつ不可欠の部品ではない、代替可能人材の特権である。

特別展「和食」である。和食のおいしさの秘密を探る。

平日の上野公園、こんな感じ。しかも、上野動物園の休園日である。

最初の食材は「水」。パネル一面に「日本のおいしい水」が並ぶ。

日本の美味しい水を作っているのは、その地その地の岩石である。はい、岩石です。博物館の目の前の公園で採ってきました。

はい、次、「キノコ」。食用キノコのコーナーと毒キノコのコーナー。クリタケとニガクリタケをわざわざ選んで撮ったのは、『異世界薬局』のコミック最新刊(10巻)で取り上げられたばかりのホットな事物だからである。確かに我々日本人は、たくさんの食用キノコと毒キノコを食べてきた。

展示されているのは模型のキノコだけでなく、このような実物も含まれる。このキノコ実物、「国立科学博物館」の所蔵である。国立科学博物館はこのようにたくさんの食材を買い集め、保存している。クラウドファンディングで集めた資金で。(多分、合っているはず)

お次は山菜と野菜。山菜は自生している野生生物。野菜は野生生物の中から特定の系統を選別して継代栽培したもの、となるのだそうだ。今食べられている野菜の多くは国外から伝わったもので、いつの時代に日本に伝わったものかがパネルにまとめられている。
コンニャクイモみたいな、加工しなければ食えないものが最初期だったり、モウソウチク(たけのこ)より、ピーマンやセロリが先だったり、結構意外。
江戸時代に食材のバリエーションが一気に広がっているのが読み取れる。安定した社会のありがたみ。

休日だったら、混雑ポイントになっただろう、手でめくる展示。
我々が食べているのは、植物のいったいどの部分?というクイズだ。ジャガイモとサツマイモが並んでいるということは、答えは「芋」ではないんだろうなぁ。

ダイコンの様々な品種が集まったコーナー。特別展を見に来ていた客層は、女性グループや老夫婦、その次が子連れ客といった感じだったが、この展示には皆が食いついていた。

米と大豆から作られる食物。『Dr.STONE』に登場するロードマップと似ているが、異なるものだ。千空が示すような明確なゴールがなく、スタートから『わらしべ長者』の要領で広がっている。むしろクロムのような者を放置した結果を後追いで記録するとこんな絵図になりそうだ。

寿司ネタになる魚大集合。背景が光源なので、こんな写真になってしまった。露光とかいろいろ工夫すればきれいに撮れたのだろうが、絶好の場所で何分も立ち止まるのはためらわれる。スマホ任せで撮って、ダメならあきらめる。

マグロいろいろ。オススメ撮影スポットなのだけど、先のダイコンほど注目されてなかったなぁ。マグロ、おいしいのに…。

神奈川県立 生命の星・地球博物館の「超普通」展でも取り上げられていたTurbo Sazae。説明があっさりしていて、つかみづらいが、今回の展示とは関係ない事柄だから。

疑惑の回転寿司、「我々はいったい何を食わされているのか」のコーナー。貝の可食部のバリエーション多いな。

海藻の長さに「のびーるたん(longcat)」を思い起こす。Long seaweed is loooooong!

今回の展示物で、一番気に入ったのがこれ。落款入りの標本。

食材(生物)の次は、化学のコーナー(発酵・だし)。


「植物」展のショクダイオオコンニャクに続いて、今回も香りの展示がある。吟醸酒の香り。今回は会場外に追い出されなかった。

だしのコーナーには、見覚えのあるものが。

このグルタミン酸、味の素の「食とくらしの小さな博物館」からの借り物だ。博物館だけでなく、多くの食品メーカーが展示に協力している。

次は、和食の歴史の展示…なのだけど、そこは「かはく」なので。
時代時代に利用可能になった食材、食器、調理器具との関連で掘り下げていく技術史的なアプローチになっている。


卑弥呼、信長&家康の食卓の再現が見どころなんだけど、自分的にはもっぱらこっち。
当時、自分が生きていたら、実際に口に入っていたのはこっちなんだろう。ご飯に塩が毎食はなかなか厳しいものがある。時代・地域によっては、これら米も塩もぜいたく品。

江戸時代に発生した生産・流通革命の一翼、北前船。七海財閥(『Dr.STONE』)の誕生だ。

高輪海岸の絵図にある、そば屋台の再現。コンパクトすぎて、イマイチ使い方がわからない。立食いしようにもカウンターすらない。徒歩で担いで移動し、客は椀を手放すことなく、渡された一杯を食べきる?みたいな想像をする。
これが当時の海岸、第一京浜(国道15号)の西側、高輪ゲートウェイ駅あたりの風景。

味の素の博物館からもう一品。ウナギの蒲焼きZERO。ガマの穂みたいだから蒲焼き。

食文化花開く…といった感じの気合い十分な料理が並ぶ中、異彩を放つ「雪花菜飯(きらず飯)」。包丁いらずの雰囲気が『めんつゆひとり飯』を思い出させる。

なお、料理のレシピはお持ち帰り可能。

明治になると、ヨーロッパの、中国の料理が日本に持ち込まれ、翻案されたり改変されたりしながら、(「和食」とカテゴライズされるかどうかはともかく、)日本の食文化の幅を広げていく……。


結論:これが究極の和食だ!

特別展連動メニューではない、「くじらカフェ」のおにぎり。館内レストラン「ムーセイオン」とともに、この「くじらカフェ」も上野精養軒……日本におけるフランス料理店の草分け……の系列店だ。
おにぎりが和食であることは皆が認めるであろう。コーヒーを一緒に頼んで台無しにしているが。(でも、日本人のコーヒー・紅茶の飲み方って、だいぶ日本茶のそれを引きずっている気がする)

2023年12月17日日曜日

隅田川(5)

春のうららの隅田川。もう5日め。


両国橋のやや下流から再開。結局、浅草はスルーしてしまった。

長大な隅田川テラスも、周辺自治体の色が出るのか、いろいろなバリエーションみたいのが出てくる。この辺りの装飾がこれまで見たものの中で一番よく分からなかった。ダンジョンの入口風?

両国大橋(桁橋)。首都高なので、徒歩で立ち入れないのが残念。土木学会を受賞した橋梁らしい。下にある堅川水門を遮る場所に橋桁を立てることができないので、上の橋から下の橋を吊り下げるというアイデアが評価されたらしい。写真を拡大すると、それらしいワイヤーが見える。

新大橋(斜張橋)。また橋のバリエーションが広がった。

小名木川との合流点にかかる萬年橋。そのうちそっちにも行ってみたい。

清洲橋(吊り橋)。
橋の形に目が行くようになって間もないが、吊り橋は、山あいの歩行者用の橋以外では初めて見たかもしれない。野毛山動物園近くの「野毛のつり橋」も実際には斜張橋だし。

清洲橋から、その道路を東に進むと清澄庭園があるらしい。
実際に行ってみたら、庭園というより公園みたいな感じだ。

その公園みたいなところは「清澄公園」で、清澄庭園はその先にあった。

うむ。いい感じ。

都内の庭園は、風景の中に高層ビルが入り込むことを避けられないし、場所によっては自動車の走行音すら耳に入ってくるが、それでも緑に囲まれた大きな水面という空間設計に開放感を得る。

池の中をカメが泳いでいた。都内の庭園を幾つか見ているが、カメを飼っているところは初めて見た。他に日光浴をしているものもいて、やはり珍しいのか、特にカメ好きとも思われない客たちも皆、そののんびりした様子をカメラに収めていた。

水鳥は多かった。カモ(カルガモ、ホシハジロが多かった)、サギ、カワウなどが集まるらしい。

水面だけではなく、園路も彼らの領域の一部。

コサギとチュウサギの違いは、今でもイマイチよくわかっていない。

ちょっと1周、寄り道と思って、その通りに1周しただけだが、それでも満足感高かった。鳥が多かったからだろう。ここはまた来たい。


清澄公園の南側から隅田川に戻る経路には仙台堀川が流れている。その名前はここに仙台藩の深川蔵屋敷があったことに由来するとのこと(仙台市による)。
で、その蔵屋敷の跡地にあるアサノコンクリート深川工場は、日本で初めてセメント製造を始めた場所らしい。

仙台堀川を隅田川方向に向かって進むと、清澄排水機場の水門らしきものが。なんかゲートみたいなものがあるとわかりやすいのだけど。…と思って、隅田川テラスに降りてみたら。裏にはバッチリ、ローラーゲートっぽいのが。

隅田川大橋(桁橋)。高架の圧迫感がスゴそうだ。

日本橋川がここで合流。対岸に豊海橋が見える。

永代橋(下路アーチ橋)。橋の上から下流を望む。
晴海運河 ← 佃・月島 → 隅田川。

中央大橋(斜張橋)を通って、佃方面へ。
放射状に伸びるワイヤーが折り重なって見える様子には見応えがある。
橋の上流側に飾られている、メッセンジャー像はフランスからの贈り物。

佃のある、この島、石川島と言うらしい。石川島資料館という郷土博物館っぽい場所があったので入ってみることにした。石川島播磨重工業(IHI)の資料館だった。え……。

資料館の中は撮影禁止(禁止でないものもあるが、ネット等での公開不可)とのこと。

資料館は、会社の設立前から今に至るまでの、会社とこの地域の歴史資料を集め、展示しているもの。やはりこの島(というか、埋立地なので「この周辺」)、石川島というところまでは外れていなかったよう。

無人島だったところが石川氏の屋敷になり、石川島と呼ばれるようになり、埋め立てが進むに従って、佃島と陸続きに…といった経緯は、資料館配布のパンフに詳しい。郷土博物館を求めていた私の希望はほぼ叶えられた。

高度成長期当時の工場労働者の生活を伝える展示も良い。

あと、関宿城博物館で見た「通運丸」。石川島平野造船所によって作られたもので、こちらには造船のようすの模型が展示されていた。
この「何かつながった感」、フィクションの伏線回収っぽい高揚がある。


その石川島資料館で、地元の祭(佃祭り)のメイン会場として触れられていた住吉神社。
『江戸前エルフ』はこの周辺の話なんだよなぁ、とか思い出しながら参拝。
(浅草同様、月島もんじゃストリートもスルーしたけど)

佃大橋(桁橋)。

勝鬨橋(下路アーチ橋+可動橋)。
……可動橋!もう稼動しないけど。

中央が跳ね橋になっていて、橋の中央部を跳ね上げる前に歩行者を止めるための信号機が残っている。

橋の電力供給のための変電所跡が「かちどき橋の資料館」になっている。
清洲橋、永代橋、勝鬨橋は国の重要文化財。土足で上がるどころか、車で乗り付けられる重文。

隅田川の橋の一覧。だいたい見て回ったはず。(例外はメインの流路にない橋)

橋の模型がある。船、車、路面電車……
えっ、この可動橋の上に路面電車の線路があったんですか。電力供給どうすんだろ。無茶するなぁ。

築地市場。市場の競りが終わった後は、こんなにも静か。

築地大橋(中路アーチ橋)。傍らに浮かぶのは浚渫船だろうか。

築地大橋から、浜離宮恩賜庭園。そして河口。

隅田川河口から池の水を得ている潮入の池は、隅田川の水の終着点の1つだ。
池の上にある中島の御茶屋は前回訪れた時は休業中だった。ここで伏線回収。